西村眞悟の時事通信 より。
四月の十日を過ぎた頃であった。月刊誌WILLの編集長から、四月二十六日に判決が出る小沢一郎さんについて書いてくれ、原稿の最終締め切りは十六日、との依頼を受けた。
その趣旨を聞いて承知し、何時も通り、日常の予定をこなしながら、筆を執る前の想を練る段階、もしくはボーッと考える妄想に近い段階に入った。
やはり彼小沢氏を、彼が泳ぐ現実のちんぴらの世界(永田町)ではなく日本の再興という過去現在から未来への本来のプロセスのなかに位置づけることが必要だ。
そう決めて、十三日から十四日にかけて原稿を書き、十五日に最終校正を終え、十六日に関空から台湾に出発した。
そして、二十五日の夜の九時過ぎに関空に帰着し、翌二十六日には予想通りの「無罪」の第一報を聞きかがら新幹線で東京へ行き、チャンネル桜の「どうする憲法」に出演して最終の新幹線で帰宅し、二十七日は朝から奈良の三輪、桜井そして多武峰の地帯を仲間と巡る。
要するに、小沢判決の「中身」や「政局の動き」についての詳しい報道に目を通すことなく今朝(二十八日)を迎えている。
つまり、私が小沢氏を位置づけたプロセスのなかでは、そんなものにいちいちのめり込む必要はないというWILL掲載文通りの生活を送っているという次第だ。
ただ、二十六日の新聞に掲載され手元に届いたWILL誌の私の一文の表題は、「小沢一郎は日本の疫病神だ」となっていた。そこで、この表題について言っておく。
「まことに適切な表題である」と。
この度の裁判は、自宅に四億円の現金を置いているおっさんが、「天下国家のことだけを四六時中考えている」ので、この金がどう処理されているのか知らんという筋書きだ。
他方、例えば、制限速度が時速四十キロの道路を,
時速六十五キロで走っていて「ねずみ取り」に引っかかった国民がいたとする。こういう経験がある国民は、全国で何百万人いるだろう。
そこで、このねずみ取りに引っかかった国民が、
「僕は、天下国家のことだけを考えているので、この道路が、時速四十キロの道路だとは知りませんでした」
と取り締まりの警官に言ったとする。
(別に「天下国家のこと」を言う必要はない。「彼女のことだけ」でも「借金のことだけ」でもよい。要するに知らなかったという言い訳になりそうなことなら何でもよい)
このような場合、どうなるか、どうなったか考えられたい。
「そんな言い訳が通用するか!」
(警官によっては、この一喝にアホ、馬鹿を付け加える)
この一言で済むのではないか。済まされたのではないか。
(実は、小沢裁判とはこのレベルの裁判で、このレベルの言い訳が、諸兄姉の経験つまり国民の経験とは逆で、効果を発揮したまことに情けないというか馬鹿らしい裁判なのだ)
よって、さあ、これからは、試しに言ってみよう!
今日も全国津々浦々の何処かの道路で、「ねずみ取り」に引っかかっている諸兄姉。
「僕は(私は)、天下国家のことだけを考えているので制限速度のことなど知らなかった」と。
WKLL誌掲載の私の一文は、小沢判決の十日前に書いたが、判決後にも、表題を含め何の訂正すべき箇所はない。
もう小沢という政治現象につき合うのは止めよう。
こういう中国共産党が喜ぶ政治現象が、我が国の政治だと思っていたら祖国が滅ぼされるぞ。
救国のため、
国家戦略を同じくする真の保守の結集を目指そう。
平沼赳夫を代表とし、石原慎太郎を顧問とする
「たちあがれ日本」
はこのために結成された。
尖閣を護ることは日本を護ることだ。
従って、尖閣を俺のものだと奪いに来るものは日本の敵だ。
その敵は、中国共産党だ。
来るべき政界の再編は、この具体的な危機から生み出された救国の国家戦略を核として為されなければならない。
即ち、国体の自覚と国防体制の充実だ。