マスコミは表記の統一の前に「主張」を統一せよ。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。





マスコミのダブル・スタンダードは今や珍しくもない。日常茶飯事である。どれがと指摘することが難しく、いや不可能であるレベルに達している。マスコミに主義主張の統一を期待するのは、民主党で善人を捜すようなものである。

あれだけ集中的に、執拗に繰り返された野党時代の民主党の審議拒否戦術を俎上に挙げず、自民党の抵抗のみを批判する。所謂

 民主党の審議拒否は綺麗な審議拒否
 自民党の審議拒否は薄汚い審議拒否

という手口である。そして

 民主党の首相には任命責任を問わず
 自民党の首相には任命責任のみ問う

かつては「野党の抵抗戦術として審議拒否もやむなし」としていたマスコミが、今は口を極めて罵っている。あれほど任命責任と騒ぎ立てていたものが、もはや死語になった。

しかも、さらに悪質なのは、自らの正体を隠す為に、各所に仕掛けておいた「アリバイ」を引っ張り出して、己の主張を正当化しているところである。確かに、どの時代のどの記事を見ても、申し訳程度に「野党は早く審議に戻れ」という「アリバイ」が埋め込まれているのだ。それは今あることを予測して、「未来の言い訳」の為に巧妙に仕掛けられたものである。

そして、それを声高らかに読み上げて、「我が社では一貫して審議拒否戦術を批判してきた」と主張するのである。もし報道が主張の通り公平ならば、「政権交代詐欺」など生じていない。現実に政権交代が起きた、これこそがマスコミの偏向・捏造の確たる証拠である。「審判員」とグルでなければ、民主党が勝てるはずがないではないか。

さらに加えて、この詐欺は「二重詐欺」なのだ。

マスコミが主導した論調は、「一度民主党にやらせてみて、ダメなら戻せばいい」というものであった。しかし、民主党がダメなことが明々白々たる事実となってからは、「民主党もダメだが、自民党もダメだ」に転じ、あからさまに「今さら自民党に戻せない」とまで言いだす輩までいる始末である。

国民を騙して政権を取り、そしてあらゆる批判を無視して居座り続ける。まさに二重の詐欺である。

「一度換えてみて下さい、気に入らなければ何時でも交換します」、というから充分走る古い車を売り飛ばして、最新流行の新車を買ってみた。ところが、これが見てくればかりのポンコツで、真っ直ぐ走ることさえ出来ない欠陥車だった。しかし、交換にも返品にも応じないのである。そんな業者が、なおもローンの取り立てに来て、「ハイハイ分かりました」と払うバカが居るだろうか。支払い拒否が当然ではないか。

それでも契約だからと支払いを要求する。
これを世間ではヤクザというのである。
裏で蠢くのは悪徳弁護士の類である。
そういえば、民主党には弁護士……

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しかし、マスコミは以前として自分達のダブスタを認めようとせず、それを誤魔化し、責任を他に転嫁する。そして裏方まで表に引き摺り出して、自分達の正当性を訴えようとする。担当者にその気はないかもしれないが、「裏方は裏方に徹するからこそ尊い」のであって、それが如何なる形であれ、表に出て苦労話をするようになれば終わりである。

しかも、それが間接的であるにせよ、マスコミの仕事振りが如何にもきめ細やかに練り上げられたものであり、信頼に足るものである、との偽装に利用されているのだから、既に充分共犯である。この種の記事を読んで、またまた「善良にして無知な国民」は騙されるのだ。

【赤字のお仕事】名前が2つあってはダメ
 校閲部員にとって間違いを無くすことは至上命令です。特に訂正を出すような見落としはなにがなんでも避けたいものです(実際は難しいけど)。しかし、間違いを直すことだけが校閲部の仕事ではありません。欠かせない作業として表記の統一というものがあります。
 「稼動」か「稼働」か、「一騎討ち」か「一騎打ち」か、「気転」か「機転」か、「午前零時」か「午前0時」か、「マネージャー」か「マネジャー」か、などなど…。どちらも間違いではありませんが、同じ紙面上でばらばらな表記が混在すると見苦しくなりますね。これらはどちらを使えばいいのか、記者ハンドブック(用字用語の手引です)に載っています。
 しかし、ハンドブックが万能というわけではありません。新たに発生した事象、事件、事故、災害などの名称の統一も必要になります。
 例えば2001年に起きた9・11の悲劇です。事件名は「米同時多発テロ」か、「米中枢同時テロ」か。テロ声明を出した組織の名は「アルカーイダ」か、「アルカイダ」か。首謀者の名にいたっては「ウサマ・ビン・ラーデン」「オサマ・ビンラディン」「ウサマ・ビンラディン」「ウサマ・ビンラーディン」など事件発生当時は、多数の表記が散見されました。本紙はそれぞれ「米中枢同時テロ」「アルカーイダ」「ウサマ・ビンラーディン」で統一しました。
 また、参加するかどうかで議論の分かれている「TPP」の日本語訳ですが、マスコミ各社の表記はばらばらです。「環太平洋戦略的経済連携協定」「環太平洋経済連携協定」「環太平洋連携協定」「環太平洋パートナーシップ協定」などと分かれました。本紙では当初「環太平洋パートナーシップ協定」を使っていましたが、平成22年10月、より正確な意味の「環太平洋戦略的経済連携協定」で統一しました。
 先日、北朝鮮が発射したミサイルの名称は3月末に、「『人工衛星』と称する長距離弾道ミサイル」というやけに長ったらしい表現で統一しました。政府が「『人工衛星』と称するミサイル」を統一呼称としたことを受けたものです。もちろん、この表現を使うのは記事の初出だけで、以降は単に「ミサイル」だけでよいことにしましたが。
 ところで本記には統一されてない表記があります。気づきましたか。西暦表記と和暦表記が混在してしまいました。実は産経新聞では基本的に国内の記事では和暦を、国外の記事では西暦を使うというルールがあるのです。ただ実際このように国内外の話が同一記事上で出てくるケースでは、「平成24(2012)年」というように両方の暦で表記するような工夫もします。
 さて、失敗に終わった北朝鮮のミサイルの長い名称ですが、その後、「『人工衛星』と称する」を外して、新たに「長距離弾道ミサイル」で統一することに落ち着きました。(に)

 http://sankei.jp.msn.com/life/news/120421/art12042118000002-n1.htm

誤記などを避ける意味から校閲は重要である。しかし、用語の統一というものにさほどの意味はない。これは時間が解決する問題であり、ましてや社単位で統一したところで、他社は違うのである。そして、各社の統一を計ろうとする時、必ずやNHKの意向が通るのである。

ここでは「八つ当たり気味に校閲を巻き込んで批判をした」が、こうした情熱を何故、「主張の統一」に回さないかが謎なのである。過去の記事まで引用して、「あの時の表記はこうで、変遷の結果、今はこのように表記されています」と高らかに言うのであれば、自社の主義主張の変遷も振り返って、その乱れを糺しては如何か。言葉の統一以前に、「主張の一貫性が問われるのは当然のこと」ではないのか。

かつて、国名に対して「ニホン」と読むか、「ニッポン」と読むかで論争が起こったことがある。そして、その論争の中で「自称識者達」が何を主張したか。まさにこの記事の表題通り「名前が2つあってはダメ」というものであった。そしてお決まりの「先進国で名前が二通りもある国はありません」という自虐ネタが横行した。まさにバカ丸出しである。

名前が二つあって困るのは、詐欺師がこれを利用するからである。
当ブログならこう書く。

「名前が2つあってはダメ:生活保護の実態を探る!」

である。「先進国で通名、偽名で行政から金を引き出せる国が他にあるのか、嗚呼恥ずかしい」という記事を書く。

校閲部記者も、マスコミの自画自賛体質に填め込まれ、「学校に新聞を」などというふざけたキャンペーン向けの印象操作の片棒を担がされていることを自覚して、裏側での仕事に徹して頂きたい。今時、この程度の記事で感心する読者は居ないのだから。