サンフランシスコ条約60年。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【日の蔭りの中で】京都大学教授・佐伯啓思





この28日でサンフランシスコ講和条約が発効して60年になる。この条約が締結されたのは1951年の9月8日であった。昨年の9月8日は締結60年で、マスコミやジャーナリズムでも多少の特集など組まれるかと思っていたのだが、実際にはまったくその種の動きはなかった。

 さすがに今年は発効60年で、多少の議論や検証はでてくるのではないかと思うが、それにしても、60年もたてば、あらゆる出来事が歴史という巨大な収納庫のなかへしまいこまれてしまうものなのであろうか。

 サンフランシスコ条約は決して過ぎ去った歴史的事実というものではない。まさしく今日のわれわれがその上に生を組み立てている礎石となっているからである。サンフランシスコ条約の上にわれわれは戦後日本という国を構築してきたのである。

 同条約には、これを期して日本は「完全な主権を回復する」と述べられている。「完全な主権」が何を意味するのかはもうひとつよくわからないのだが、いずれにせよ、占領統治された国家という変則的な状態はここに終了し、日本は主権国家となって国際社会に復帰したわけである。英米などとの戦争はここで正式に終わったわけである。

 確かに60年前の4月28日をもって日本は主権を回復した。だがそれは本当に主権の回復だったのだろうか。いうまでもなく同条約と同時に日米安全保障条約が締結された。同条約は、アメリカによる日本の防衛は「暫定的措置」だとし、日本自身が「自国の防衛のため漸進的に自ら責任を負うことを期待する」と記している。

 ここでアメリカは、日米安保体制が暫定的なものであり、いずれ日本は自主防衛という「本来の姿」へと戻るべきことを明記しているのだ。

もちろん、日本の自主防衛への最大の障害は憲法そのものであった。だから、もし自主防衛という「本来の姿」への回帰を果たすとなるとどうしても憲法改正が必要となる。そしてアメリカも、サンフランシスコ条約締結にあわせて日本が憲法改正へ向けて動くことを期待していたようでもある。

 だが吉田茂首相は憲法改正論を一蹴した。平和憲法とアメリカによる防衛体制のもとで経済発展を実現することこそが国益だと考えた。もちろんそれが国家としては「半人前国家」であることを吉田はよく知った上での決断であった。歴史に「もしも」は禁句だといわれるが、あえて「もしも」といえば、この時に吉田首相が憲法論議を提起していたらどうなっていたのであろう。

 サンフランシスコ条約締結以前の占領状態は、公式的にいえば、いまだ戦争継続中なのであり、広義の戦争状態における占領である。日本には主権はない。したがって、「本来」の意味でいえば、あの憲法は無効である。憲法制定とは、主権の最高度の発動以外の何ものでもないからだ。

 「もしも」このような認識があれば、主権回復と同時に新憲法制定へ着手するのが「本来」の姿であった。いいかえれば、占領期間に制定された憲法や教育基本法など、「国のかたち」にかかわる基本構造をそのまま受け入れた戦後が改めてここに始まったのだ。





 これが、サンフランシスコ条約における「完全な主権の回復」である。形の上では日本は主権国家となり、実体の上では「不完全主権国家」となった。同条約によって、日本は確かに国際社会に復帰したのである。だがそれはまたアメリカへの新たなる従属でもあった。それは、占領政策のように、アメリカによる目に見える統治ではないものの、アメリカの圧倒的な影響力の圏域にとどめ置かれる、というような種類のものであった。

しかもわれわれ日本人の大半は、この従属を、やむをえない暫定措置だと思うどころか、自発的に意図し、積極的によしとしたのである。ある人たちは、この従属に「利」がある、とみなした。ある人たちは、この従属を、日本の国際社会への名誉ある復帰とみなすことにした。

 そしてあれから60年もたてば、誰もサンフランシスコ条約こそが、戦後日本の矛盾の源泉だなどとは思わない。それは、戦後日本の経済発展の礎石であり、「第2の開国」などといわれたりするように、平和国家日本の世界への船出だとみなされるようになった。

 戦後日本には大きな矛盾がある。それは、日本の安全保障上の、あるいは経済上の「利」は、実は、アメリカへの目に見えない従属によってもたらされたのであり、戦後日本の世界における「名誉ある地位」なるものは、「半人前国家」であるがゆえのものだ、ということだ。

 端的にいえば、戦後日本の繁栄であり発展であるとされるもの、すなわち日本が得た「利」は、実は、「完全な主権」をいまだに回復していないがゆえに可能だったということになる。そして60年たって、今日、実は戦後日本の繁栄や発展など、どうにも底の浅いものであったことが暴露されてきている。経済成長も平和主義も、どうやら本当にはわれわれの支えにはならなかったことがわかってきた。サンフランシスコ条約は決して過ぎ去った歴史的出来事というわけにはいかないのである。


(さえき けいし)