日本人は支那人を良く知るべし! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





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助けて!人命無視しスイカ持ち去る支那人!車横転、群衆は救助要請を無視してスイカ持ち去り「いいスイカ!」・2011年10月ひき逃げに遭った2歳児を通行人無視・80年前、川に落ちた豚と人、人を殺して豚を引き揚げ。



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【国際】 「助けて…」 事故車の男性、群集に助け乞う→群集、無視して「いいスイカだし!」と積荷のスイカ持ち去る→男性死亡…支那(画像は別の事故でのスイカ持ち去り事件)




http://mainichi.jp/select/news/20120410k0000e030148000c.html 
中国:事故で車横転 スイカ持ち去るも救助要請は無視 
毎日新聞 2012年04月10日 10時41分(最終更新 04月10日 10時53分)

 【上海・隅俊之】中国・雲南省大宝の高速道路で4日、大量のスイカを積んだトラックが横転事故を起こし、車内に男性1人が取り残されていたのに、集まった人々は散乱したスイカを持ち去るだけで助けようとせず、男性は死亡した。雲南テレビなどが伝えた。

 広東省仏山市では昨年10月、2歳の女児がひき逃げされたのに18人が見て見ぬふりをし、女児が死亡する事件が起き、冷漠社会(他人に無関心な社会)として問題になった。インターネット上では「『見死不救』(死にそうな人を助けない)がまた起きてしまった」などと、道徳心の喪失を嘆く声が広がっている。

 事故は4日午後4時20分ごろに発生。約35トンのスイカを積んで昆明に向かっていたトラックが、ブレーキが利かなくなり、コントロールを失って横転した。運転手は助け出されたが、後部座席に乗っていた男性が取り残された。運転手は集まった見物人らに「助けてください」と男性の救助を求めたが、ほとんどの人々がスイカを持ち去る一方、救助要請を無視したという。

 スイカを持ち去ろうとした男は、現場でとがめた雲南テレビの記者に「どうして駄目なのか。このスイカはいいスイカだし」と悪びれた様子もなく言い、「あなたの良心はどこに行ったのか」との問いには「そんなことは考えたことがない」と言い放った。事故では、通報を受けて救急車が現場近くに来たが、事故による渋滞で近づけず、男性は死亡が確認された。

 中国版ツイッター「微博」では、「(こんな時に)強盗をしないと損だという人間のくずのような考えは、いつになったら中国からなくなるのか」、「中国人の素養は千差万別だと思うが、文明の程度が低い人が大多数だ。私たちが当然だと思っていた道徳基準は、彼らの心の中にはまったく現れなかったのだ」といった書き込みが相次いでいる。

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(以前支那で起きたスイカを積んだトラックの事故写真)


>中国・雲南省大宝の高速道路で4日、大量のスイカを積んだトラックが横転事故を起こし、車内に男性1人が取り残されていたのに、集まった人々は散乱したスイカを持ち去るだけで助けようとせず、男性は死亡した。


いかにも支那人らしい事件だ。




>広東省仏山市では昨年10月、2歳の女児がひき逃げされたのに18人が見て見ぬふりをし、女児が死亡する事件が起き、冷漠社会(他人に無関心な社会)として問題になった。


これも、支那人らしい事件だった。


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支那広東省で、車にひかれ、倒れて苦しむ女児(中央下)のすぐ脇を歩いて素通りする若い男性

■動画
【衝撃映像】ひき逃げに遭った2歳児 通行人は無視
http://www.youtube.com/watch?v=cJs_DyplYKE

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【新唐人日本2011年10月19日付ニュース】中国広東省佛山市でショッキングな事件が発生しました。2歳の女の子がひき逃げされました。その後、後続の車にまたひかれ­ます。その間十数人がひかれた女の子のそばを通りますが、誰1人助けませんでした。結局、58歳の廃品拾いの女性が助けを呼びました。

13日午後5時25分、佛山市の2歳の女の子が家から100メートル離れた路上で白いワゴン車に轢かれます。運転手は一旦車を止めたものの、すぐその場から逃亡。倒れてい­る女の子のそばを次々通行人が通りますが、誰一人助けません。その後、一台の軽トラックが倒れている女の子を再びひきます。前後6分あまりの間、そばを通った通行人は十数­人。血溜まりの中に倒れている女の子を避けて通ります。結局、58歳の廃品拾いの陳さんが助けを呼び、母親が駆けつけました。

女の子は病院に搬送されましたが、17日の時点で、まだ危険な状態から抜け出していないそうです。
(以下略、女の子は後日死亡)
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>スイカを持ち去ろうとした男は、現場でとがめた雲南テレビの記者に「どうして駄目なのか。このスイカはいいスイカだし」と悪びれた様子もなく言い、「あなたの良心はどこに行ったのか」との問いには「そんなことは考えたことがない」と言い放った。


スイカを持ち去ろうとした男をとがめた雲南テレビの記者は、支那人としては例外だ。

「どうして駄目なのか。このスイカはいいスイカだし」と悪びれずに言った支那人こそが本来の支那人だ。

ケガをした人間と散乱したスイカがある場合、普通の支那人はケガ人を無視してスイカを持ち去る。

これは、何十年、何百年、何千年も続いている支那人の習性であり常識なのだ。

アメリカの外交官が1933年に書いた『暗黒大陸中国の真実』という本には、今回の「人命救助無視スカイ持ち去り事件」とそっくりな事が記述されている。


中国人の特異性と残虐性

 長年、中国で活躍し、去年(1932年)カリフォルニアで亡くなったアーサー・スミスの本によれば、長く住めば住むほど分かってくることがあるそうである。
「他人を信用する中国人はいない。なぜなら、自分が相手の立場に立ったら自分を信用できないと思っているからである」。

(中略)

 中国人の残虐性に話を戻す。いくつか例を挙げよう。例えば家族や仲間の連れがなく一人で舟に乗って落ちたらまず誰も助けてくれない。元来中国人は軽率だから船から落ちるということは稀なことではない。数メートル離れた所で人が溺れても、ただ見ているだけである。よくあることである

 あるアメリカ人領事が目撃した話である。
任地の揚子江上流でのことで、西洋人には信じられないことだが、中国人にはたいした事件ではないそうである。
豚と中国人を満載したサンパンが岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人も川に投げ出された。
岸で見ていた者は直ちに現場に漕ぎ出し、我先に豚を引き上げた。

舟に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかり新鮮な豚肉を手にして、意気揚揚と引き揚げ、後は何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いたという。

『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)、田中秀雄・先田賢紀智共訳


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私は、2011年10月にひき逃げに遭った2歳児を18人の通行人が無視して死亡させた事件の時も、車が横転して運転手が中に閉じ込められた人の救助を要請しても群衆は救助をせずにスイカだけを持ち去った今回の事件の時も、すぐに上の『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)のことを思い浮かべた。

約80年前に人と豚が川に投げ出された時、岸に居た群衆は泳いで来た人の頭をかち割って殺し、豚だけを引き上げて持ち帰っていた。

今回、事故に遭った運転手や車の閉じ込められた人を殺さなかっただけ、約80年前より支那人は進歩しているのではないだろうか。


今、日本には大量の支那人が入り込んで来ている。

日本人は、支那人の本性を良く知っておく方が良い。

「人類皆同じ」などということは絶対にない。

支那人と朝鮮人はかなり似ているが、日本人は支那人や朝鮮人とは全く異なる。


(参考)


1984年(昭和59年)4月24日(火)河北新報夕刊9面

花よりリンゴ
造幣局の「桜の通り抜け」
みんなでやれば怖くない 2トン80箱持ち去る 大阪
青森の業者しょんぼり

【大阪】二十三日午後、花見見物でにぎわう大阪の桜の名所、大阪造幣局「桜の通り抜け」近くで、リンゴ路上販売業者が電話をかけに行ったわずかのスキに、約2トン、八十箱のリンゴが通行人に次から次に持ち去られる”事件”があった。
「試食していただいても結構です」の看板に、通行人が群集心理にかられ持ち去ったらしいが、青森から来た業者はあまりのモラルの低さにあ然とし、警察に被害届も出さず、しょんぼり引き揚げていった。

ご難にあったのは弘前市清原二ノ一〇ノ二十九、リンゴ販売業長尾清秀さん(三六)。

長尾さんはこの日正午すぎ、造幣局の花見に出かける客でにぎわう大阪市東区京橋二ノ三ノ五の天満橋南側付近の路上に、二トントラックに満載してきたリンゴ約八十箱(約四十万円相当)の荷を下ろし、路上販売を始めた。
午後零時四十分すぎ、電話をかけに行き、約十五分後に戻ってみるとほとんどが空箱。

この間、百人ぐらいの通行人が、路上のリンゴに群がり次々と持ち去っていった。
道路の反対側で雑踏警備にあたっていた大阪府警東署員が異常に気付き駆けつけたが、リンゴはほとんど持ち去られた後。
長尾さんは「”試食していただいても結構です”の看板を出していた私が悪かった」とうなだれるばかり。
同署員がしきりに被害届を出すように説得したが、応じず、午後四時すぎまでに、残ったわずかのリンゴを売りつくし、弘前へ戻っていった。




▼▼後日談▼▼
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その後:被害届は出していない
    被害者はマスコミに「大阪は本当に恐いところだ」のコメント
 
3日後から開始された新聞社キャンペーン:
大阪新聞の佐藤編集局長が「大阪の良識を取り戻そう」と呼びかける
新聞の文面は
「いまからでも大阪の良識を取り戻しましょう。持ち帰ったリンゴの代金を支払うのも反省の証の一つです」

集まった寄付:
「天満橋のサラリーマン」を名乗る人からは「事情が分からず、4個拝借しました。申しわけありません」と代金の倍額の2千円

10万円を寄付した団体もあった

青森出身の舞踏家・江口乙矢さんが3万円 

弘前市へ寄付:
編集局長が福士文知・弘前市長に、交通遺児のためとして集まった募金合計31万2500円を渡す
大阪市内の幼稚園児が描いたリンゴの絵200枚も渡す

被害者からの手紙「大阪の人の真心に触れることができました」

弘前市からの寄付:
平成元年、弘前市から大阪新聞社経由で、大阪の福祉施設へのリンゴ寄付が開始。
平成9年時点でも行われていた
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