「毛沢東回帰」改革の季節の再び。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【石平のChina Watch】





今月6日、「烏有之郷(ユートピア)」や「毛沢東旗幟網」などの中国の代表的な左派サイトが突如、政府によって閉鎖された。それらのサイトは今までトウ小平時代以来の改革開放政策を「社会主義理念に対する裏切り」だと強く非難する一方「改革開放」へのアンチテーゼとして毛沢東時代の政治路線を美化し「古き良き時代」への回帰を熱心に唱えていた。

 このような政治思想の持ち主は中国では「左派」と呼ばれるが、実は彼ら左派の考え方は、先月解任された薄煕来重慶市前党委書記のそれとは一脈通じるものがある。薄氏も重慶市書記在任中、毛沢東時代の「革命歌謡曲」を歌うキャンペーン(唱紅)を展開し「毛沢東回帰」を旗印に掲げていた。そういう意味では、薄氏の解任に続く左派サイトの閉鎖はむしろ必然の成り行きである。

 左派サイトと薄氏が提唱する「毛沢東回帰」が幅広い支持を集めた背景には、改革開放の中で生じてきた貧富の格差の拡大や汚職の蔓延(まんえん)などに対する民衆の不満がある。

こうした民衆の不満を代弁して「現状が駄目なら昔に戻ろう、改革が問題を起こしたなら改革を見直そう」というのが彼らの主張だが、当然、温家宝首相など党内改革派の強い反発を買った。温首相が3月14日の記者会見で薄氏を批判しながら「文化大革命再来の恐れがある」との危惧を口にしたのもその故ではないか。そして薄氏の解任や左派サイトの閉鎖などの動きと並行して、改革派たちが今温首相を中心にして巻き起こしているのが「改革深化」の大合唱である。

 まずは2月23日、人民日報が「改革しないことによる危機を回避しなければならない」とする評論文を掲載し、強い危機感に基づく改革への決意を示した。3月5日、全国人民代表大会において恒例の「政府工作報告」を行ったとき、温首相は「改革」という言葉を70回も発して改革への大号令をかけた。同14日、全国人民代表大会の閉会に合わせて行われた記者会見の中でも、温首相は「政治構造改革」という表現を使って党と国家指導部の組織改革の断行を訴えた。

 広東省党委書記の汪洋氏と省長の朱小丹氏も改革の熱心な吹聴者となっている。温首相と同様、彼らが唱えているのはやはり政治改革だ。朱省長は同4日、「政府自身が改革の障害となっており、政府の自己改革が必要だ」と語ったのに対し、汪書記は同7日、さらに一歩踏み込んで、「改革は党と政府のあり方にメスを入れることから始まらなければならない」という大胆な発言を口にした。

汪洋氏は胡錦濤総書記の率いる「共青団派」の次世代ホープであり、今年秋の党大会で次期最高指導部入りが確実とされている。この彼が急進的な改革の旗振り役となったことは、党内の大勢と政権の方向性がすでに「改革」に傾いたことの証拠であろう。

 つまり政治的優位に立った改革派は今、よりいっそうの改革を推し進めようとしているのだ。薄煕来氏らが改革の否定を持って改革のもたらしたゆがみを正そうとしたのに対し、改革派は改革のよりいっそうの推進をもって問題の解消を図ろうとしている。そして彼らの考える「よりいっそうの改革」とは、すなわち党と政府の権力にメスを入れるような「政治改革」そのものである。

 実際今月4日、温首相が地方視察の中で「国有銀行による金融独占の打破」を明言したことも、まさに政治改革実施の第一歩であると理解できよう。

 トウ小平の「南巡講話」以来20年、中国は再び、「改革の季節」を迎えようとしている。

 

【プロフィル】石平

 せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。