指揮官はそのとき(中) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【話の肖像画】前統合幕僚長・折木良一







■原子力事故 情報の共有は今後の課題

 《東日本大震災の発生後、統合任務部隊を編成し、被災者の救助、行方不明者の発見に全力を挙げる。そんな中、福島第1原子力発電所が水素爆発を起こす》

 --上空からヘリで放水するという決断を迫られました

 折木 3月16日にヘリで放水をしようということで飛ばしたんです。ところが放射線の線量が高い。現場に判断を任せていましたので、「放射線の線量が高すぎるので引き返します」と連絡があった。すぐに帰った隊員とヘリを除染をし、パイロットの被曝(ひばく)量を測定した。少ない数値だったので、「17日は必ずやろう」ということになりました。「1回でもいいから(水を)落としてくれ」と担当指揮官を通じてお願いして放水となったんです。14日頃から北沢防衛相とはずっと(放水の)手段を含めて「こんなことがやれるんじゃないか」ということで協議を続けてきました。私は私なりに決心しなくてはいけない。大臣は大臣として決断を迫られた。大臣と私は14日から17日まで同じ認識でした。効果がうんぬんというよりとにかく1トンでも2トンでも落とさないといけない。緊急性を感じました。完全に封じ込めなくても(臨界を)遅らせなければというのが頭にありました。その間に消防隊の準備が整い、消防車からの放水を警察、消防、自衛隊が協力してできたと思っています。

 --北沢防衛相と統幕長に認識に差異はなかったんですね

 折木 ほとんどありませんでした。緊急性の高い任務を遂行しなければいけない。一方で隊員の安全確保に努めなければいけない。その2つのジレンマがきつかったです。振り返っていますから今は話せますが、16日に放射線量が分からないのに「おまえ行って水を落としてこい」というわけですから。どういう状態になるか分からなかった。17日は状況がだいぶん把握できましたから、気持ちは少し落ち着きました。現場の隊員には苦労をかけました。

 --身を切られる思いだったでしょう

 折木 そうです。隊員も「俺が行く」と志願者がたくさんいて。こちらから指名したわけではないんです。隊長以下、進んでやってくれて…。

 --指揮命令系統が錯綜(さくそう)したという批判もありますが

 折木 原子力対策本部と東電の統合本部と大きな組織が2つありましたが、本当は指揮命令系統は1本にならなければいけないわけで、情報の共有などは今後の課題ではないでしょうか。政府が主体なのか東電が主体なのかという観点もあるでしょう。自衛隊では(東電の)統合本部に2人を派遣して、自衛隊に何をやってほしいのかということは情報を入手していました。

 --官邸の危機対応チームにあって、自衛隊のリーダーシップを御厨貴(みくりや・たかし)東京大教授が絶賛していましたが、どういう人材育成をされているのでしょうか

 折木 自衛隊の存在意義はすべて危機管理なんです。活動は災害派遣や海外派遣などの現場が非常に増えている。そこで先生がおっしゃったような見方をされるようになったのかな、と。またよい人材を送っていますから(笑)。200人、千人規模の部隊長を経験した人間を派遣していますから。

                                   (三枝玄太郎)




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           災害派遣で現地の状況を確認する折木さん(左)=昨年4月(防衛省提供)