中山成彬オフィシャルブログ・立て直そう日本~この国を守る覚悟を~ より。
「いわゆる南京虐殺はなかった」という名古屋の河村市長の発言が波紋を広げています。先週発売の週刊新潮にも3ページにわたって記事になっています。その中で私のコメントも引用されています。
私が会長を務めていた「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」で、南京事件の実態を当時の内外の新聞記事や国際連盟の議事録等の一次資料を基にして調査しました。その結果を「南京の実相」として出版しています。(ぜひご一読いただければと思います。)
出版にあたり、憲政記念館において内外のマスコミ約30社の前で記者会見を行いました。私は冒頭、「南京事件は通常の戦闘であり、それ以上でもそれ以下でもなかった」と総括しました。記者からは、ほとんど質問は出ませんでした。記事にしたのは産経新聞だけだったと記憶しています。社の見解と異なることについては無視するのがマスコミの常套手段です。
調査の中で私が一番印象的だったのが陥落後の南京を伝える朝日新聞の報道でした。その写真等を見ると、何と日本兵と南京の市民達が談笑しているのです。特に子供達の笑顔が印象的です。婦女子を含め30万人もの市民を虐殺した直後とは到底思えません。それまで軍閥や蒋介石軍の略奪や殺戮に怯えていた南京市民は、日本軍が進駐して来てむしろほっとしたのでしょう。河村市長のお父さんが事件から8年後の南京で市民に温かく接してもらったというのも当然です。
もちろん戦争ですから、平時とは違います。敵味方ともたくさんの死傷者が出たことでしょう。しかし、日本軍が30万人もの市民を虐殺したというのは事実無根です。それ以前にあった中国人同士の残虐な殺し合いを、日本人の仕業と世界中にふれ廻るのはいかに白髪三千丈の中国でも許されることではありません。断固抗議すべきなのです。
私は旧日本軍は世界史上まれに見る軍律厳しい軍隊だったと思います。これには武士道に象徴される日本人の精神もありますが、明治維新後、帝国主義の真っ最中に遅れて列強の仲間入りした日本の事情もありました。日本は近代国家として世界に認めてもらうために涙ぐましい努力をしました。国際法規を守ることにも必死でした。台湾や朝鮮の統治においても、欧米の植民地支配とは真逆に大変な努力をしました。
中国や韓国の一方的な日本批判に対しては徹底的に反論しなければなりません。黙っていると認めたことになるのが世界の常識です。以心伝心は日本人だけの専売特許だと考えてよい。
中・韓がよく使う「未来思考の外交」という決まり文句にも気を付けた方が良い。「過去は日本が悪かった」ということにして、未来のことを考えようと言っているのです。河村市長が提案する「話し合う」ことになると真実が出てくるのが恐いのです。
今の日本人はあまりに自国の歴史に無知、無関心です。私は1853年のペリーの来航をもって日本の近現代が始まったと考えますが、学校ではその後の歴史をほとんど教えていません。そもそも歴史教科書が偏向していますし、日教組の教師は自虐史観を教え込んでいます。腰の引けた民主党政権を見るとまるで自虐教育の優等生の集まりです。
日本は長く平和ボケの中で戦争から目をそらしてきました。しかし、危機は現実のものとなりつつあります。中国や韓国では国内の不満を鎮める為に、外に敵を求めるいわゆる「内憂外患」のひどい反日教育を行っています。その愛国反日教育を受けた中国の若者達がどんどん日本に入り込んでいます。彼らが表面はともかく心の中では何を考えているのか分りません。
都内で電車や地下鉄に乗ると、甲高い中国語が飛び交っています。コンビニ等で働く中国人が東北大震災で一斉に帰国して店側が大慌てしたこともありました。銀座のど真ん中の寿司屋に行ったら、働いている女性が皆中国人でびっくりしました。乳母車を引いて中国人のお母さん達が公園で井戸端会議を開いています。麻布にある元国家公務員共済組合の土地が60億円で中国に売られ、麻布一帯に「この辺りは中国人の物になったから、早く出て行って下さい」というチラシが配られたそうです。耳をそいだり、鼻を削ったりの中国人による犯罪も起こっています。先祖が日本人にひどい目にあったのだから日本人には何をしてもいいという気持でいるのでしょうか。
いわゆる従軍慰安婦の問題もしかりです。支持率の急低下している李明博大統領は、従軍慰安婦の補償問題が日韓外交最優先事項だと言い出しました。中国側は河村市長が発言を取り消さないと日本への観光客を送らないと圧力をかけています。日本は脅すとすぐ降りるとお見通しの中国の常套手段です。
市長はそんな脅かしに乗らないでしょう。大臣と違って直接選挙で選ばれた市長は圧力がかかりにくい。河村市長はここが勝負どころ、今の姿勢を貫いて欲しいし、日本人は彼を全面的に応援すべきです。これは日本の将来の為でもありますし、又、先の戦争で祖国のために戦い亡くなった多くの先人達の鎮魂の為でもあります。