【40×40】笹幸恵
靖国神社第7代宮司の大野俊康氏は、宮司としては「変わり種」であったのかもしれない。かつて学徒出陣で軍隊に入り、のちに特別操縦見習士官として飛行訓練に励んだ経験を持つ。飛行学校で教えを受けた教官や助教は特攻隊の一員となった。実弟もシベリアで亡くなっている。戦争は、大野宮司にとって「すでに終わったこと」ではなかった。特攻基地であった各地を巡拝し、ゆかりのある遺族を捜し出しては訪ね、お神酒を持って慰霊碑や墓前にぬかずく。人情味あふれる、行動派の宮司である。
そんな彼の講演録をまとめた『特攻魂のままに』(展転社)を読む機会があった。戦没者の思いを伝えようとする気迫が、文章から伝わってくる。
知覧に着いてから、左腕をくじいてしまった中島豊蔵軍曹。白い包帯で首から腕をつっている状態だったが、「日本が勝つためには、自分は一刻も早く行かねばならんのです」と言って、第48振武隊として出撃の日、自転車のチューブで操縦桿(かん)に左腕をくくりつけて沖縄に向かっていった。第72振武隊の千田孝正伍長は、出撃の朝、千田機の整備軍曹に「食ってください」と朝食の弁当を差し出した。「腹が減っては戦はできんぞ」と軍曹が言うと、彼はこう返した。「あと3時間もすれば突っ込むんです。すぐに航空母艦を食うのに、今食ったら食いすぎて腹をこわします」。エンジンが始動すると、千田伍長はにっこり笑って敬礼し、出撃していった。
彼らはいずれも19歳。今なら、大学生として楽しくキャンパスライフを送っているであろう年頃だ。大野氏は慰霊碑にぬかずくと、「宮司、あとは頼むぞ」と戦没者の声を聴く。
東日本大震災から1年がたつ。福島の原発の状況はいまもって予断を許さない。がれきの処理は一向に進まない。人々は将来に不安を抱えながら過ごしている。いったいこの国はどこへ向かおうとしているのか。私はいつも思う。「あとは頼むぞ」と言った19歳の若者に、私たちはどう応えたらよいのだろうか、と。
(ジャーナリスト)