「昼行灯の天下泰平」に絶句。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博





 海外に駐在していると、日本からくる政治家の時代錯誤にがくぜんとすることがある。見栄えや所作ではない。ひと言でいうと「昼行灯(あんどん)の天下泰平」というところか。

 アフガニスタン戦争が始まった2001年秋のこと。自民党の山崎拓氏ら与党3幹事長がそろって隣国パキスタンのイスラマバードにやってきた。面会した相手は、いかめしい顔のムシャラフ大統領である。

 山崎氏らは成立ほやほやのテロ特措法を持参して、自衛隊の支援活動を申し出た。ムシャラフさんはにっこり笑い「国境の向こうにある難民キャンプでお願い」と喜んだ。

 これに山崎氏が「いや、自衛隊は憲法の制約で戦闘地域にはいけない」というや、ムシャラフさんから笑顔が消えた。「あのねっ」といって、絶句したのではないか。

 「国境の内側はわがパキスタン軍がいる。戦闘地域でやらなければ軍の意味がない。すでに、武器を持たないNGOも入っているのに」

 昼行灯が国際常識に遭遇した瞬間である。ちなみに、大石内蔵助で連想する昼行灯とは、能力や才能を隠してボケのふりをすることをいう。その真価を発揮するのは危機や乱世だが、政治が決断できなければ昼行灯のまま天下泰平で終わる。

 やがて、陸上自衛隊はイラク戦争後の復興に派遣され、非戦闘地域での給水活動に従事した。自衛隊は英語で「セルフ・ディフェンス・フォーセズ」といって、海外では国民を守るより自分の身を守るときだけ武器使用の戦闘が認められる。

 その上、自衛隊は英豪蘭軍に守られて作業をしてきた。軍が軍に守られるのだから自己完結はしていない。隊員の手足を縛ってきたのは、抑止と力の行使を軽視する戦後平和主義とそれを信奉する政治家である。

 歴代の政権は、野党や国民の批判を恐れてそうしたイビツの解消を先送りしてきた。いまの野田佳彦政権もまた、独立したばかりの南スーダンで、国連平和維持活動(PKO)に従事する陸自の武器使用基準を緩和しないまま送り出した。

 陸自派遣に先立つ1月31日の参院予算委員会では、昼行灯らしい珍妙な問答があった。自民党の山谷えり子議員が「南スーダン派遣のPKOは、20メートル先にいるNGOの日本人が襲撃されたとき助けられるか」とただした。あの田中直紀防衛相は「できない…」としどろもどろだ。

 続いて山谷さんが、「日本のPKO部隊は、どこの国の部隊に守られるのか」と問うと、消え入るような声で「知らない」と答える。渡辺周副大臣が「バングラデシュの部隊です」と助け舟を出した。

 防衛相の知識不足というより、防衛力の欠陥に対する問題意識の欠如が問題なのだ。イラクでは英豪蘭軍に守られ、南スーダンではバングラデシュ軍に守られては、軍に不可欠の誇りが傷つく。

 自衛の軍に実力があっても、防衛トップが昼行灯のままなら、周辺の腹黒い国々は国益を広げるチャンスと見るだろう。ようやく政府は、武器使用基準を緩和する検討に入った。文字通りの泥縄である。中国艦船が東シナ海の日中中間線を越えるのも、これと無関係ではない。ロシアのプーチン首相は軍備増強と兵器開発を米誌で正当化している。

 国際政治の本質を見抜いた権力観である。日本はいつまで「昼行灯の天下泰平」をむさぼるのだろうか。