「河村ワクチン」を処方せよ。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。




「そんなことは無かった」
「そんな数字は有り得ない」

この二つの言葉を使うだけで、周囲が綺麗になるらしい。
様々な難問が片付いて、実に清々しい環境が戻るらしい。
こちらが色々工夫しなくても、相手が勝手に帰るらしい。
「絶対に行きたくない」と先方から言ってくれるらしい。

有難い話である。
本当に有難い話である。

全国でこの手の問題に悩まされている人達は、是非使うべきだ。

「河村ワクチン」を処方せよ。

魔法の言葉を唱えるだけで、「行きたくないし、来なくていい」とわざわざ向こうから声張り上げて言ってくれるのである。

「山のように証拠がある」と連呼しながら、その山から唯の一個すら取り出すことをしない。毎度馴染みの決め台詞、「歴史の学習が足りない」と嘯きながら、学問としての歴史を持たない連中が、拳を振り上げている。そういえば,この台詞は以前あの「襟立て女」も使っていた。国務大臣が、自国の国民に対して、「オマエらは歴史を知らない」と言い放ったのである。流石に下劣な品性は隠しようもないのである。


古い古いヤクザ映画の台詞のように。「俺は大丈夫だが、うちの若い衆は気が荒くてね。あんたらの安全が確保できないからな、帰って貰おうか」という例のアレである。「友好だ親善だ」と散々持ち上げて、出て来る台詞がヤクザの恫喝である。

それを政府がやるのである。国を挙げてやるのである。自分達で、自制心の無い、制御不能の暴れ馬を育て、常に臨戦態勢にしておいて、何か問題があると、いや問題などそこになくても自分達に都合の悪いことが起こると、その連中を前に押し出して、「安全が確保出来ないから」と嘯くのである。

今こそ使おう、河村ワクチン!

日本は、その淡泊な気質を見抜かれ、悪用されているのである。
だからこそ、徹底的に執拗に、言い続けなければならないのだ。

「ところで、あのギョウザの件はどうなったか」と。
「ところで、あの船長は今何をしているのか」と。
「長野で暴れた連中は元気か」と。

この期に及んでなお間違ったメッセージを出し続ける自称文化人、自称政治家、自称活動家の諸氏と共に、ギョウザを食べる会でも企画すればどうか。爆発する容器を、爆発する机の上に乗せ、爆発する椅子に座って、爆発する国家のことを語り合おうではないか。


何度でも繰り返す。「隣国」はアメリカである。
隣は東回りに数えるのである。
地球を一周回らなければ行けない場所など「隣国」ではない。
それは地の果てである。

これが我々の「ルックイースト政策」である。
さあ、脱亜入欧・東回りの旅を始めよう。