「誠司的判断」によるマエハラは続く。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。




ネタ好きの新聞社ならこう書くだろう。
本紙既報の通り、「マエハラは今日も嘘だった」と。

「報道制限のつもりない」と前原氏
 産経新聞記者の会見出席認める
 民主党の前原誠司政調会長が産経新聞記者の記者会見への出席を排除した問題で前原氏は28日夕、国会内で開いた記者会見で、産経新聞記者の出席に応じた。前原氏は前回23日の会見で産経新聞記者を排除したことについて、「取材、報道の自由を制限するつもりはない」と述べた。本紙記者の会見排除に関するやりとりは以下の通り。

 --前回の23日の記者会見で私(産経新聞記者)の出席が認められなかった。その理由と、今後の会見に出席が認められるか聞きたい

 「前回、お話しをした、(記者会見に)おられなかったので、おられないかもしれませんが、事実と異なることについて書かれていて、それについての回答を文書で求めるということについて、いただいておりませんでした」
 「そのことで私はお断りをしたということでございます。その大方針について変更はございません。ぜひ産経さんには、早い段階で文書を求めたい。このように考えております」

 --与党の政調会長という極めて公益性が高く重い説明責任を負う立場での記者会見で、特定メディアの出席を拒否したことは説明責任の問題、報道の自由の視点からあってはならないことだ。同様のことがないようにすべきだと考える。

 「まあ、あの、できるだけオープンに記者会見をやるということは、これは民主党の考え方でありますので、その考え方についてわれわれは一切、変更はございません」
 「ただ、あまりみなさん方、ご存じないかもしれませんが、過去に2人、私は記者の方を出入り禁止にしております。それについてはその記者を出入り禁止にしたということで、特定の社を出入り禁止にしたわけではありません」
 「ただ、先ほど、産経さんには申し上げましたけれども、今回の件については社に文書を回答(要求)しているという段階でございますので、その回答を待ちたいと。このように思っております」

 --報道内容を理由にした会見拒否は、われわれとしては受け入れがたい。今後はこういうことがないようにしてほしい。

 「まあ、同じ回答になりますけれども、マスコミのみなさん方は報道する自由、あるいは報道する権利はおありだと思いますけれども、われわれ、事実に基づいて報道していただきたいと。こういう思いがございます」
 「従って、事実に基づかないものを書かれるということについては、われわれはかなり、私はそこはおうように構えていたつもりでございますけれども、それが度重なるということについて受容の範囲を超えた。こういう判断をさせていただいたということであります」
 「いずれにいたしましても、御社におかれましては私がお願いをしている文書について早くご回答をいただきたいというふうに思っておりますし、繰り返しになりますけれども、マスコミのみなさん方の取材の自由、報道の自由を私は制限するつもりは毛頭ございません」(完) 2012.2.28 19:20

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120228/stt12022819210011-n1.htm

まさに「言うだけ」全開ではないか。
「誠司的判断」による政的嫌がらせ「マエハラ」は続く。

民主党全体に言えることであるが、こうした発言の一言一言を拾っていくと、この連中がどれほど賤しいか、実によく分かる。

「何々のつもりはない」、これが最も多用される、もはや民主党用語の一つである。「そんなつもりはない」と言えば、結果が真逆に出ても許されると信じているのが、この連中である。そして、それは「結果責任」を問われる政治家にとって、最も言ってはならない台詞のはずである。それが日常的に、平然と発言されるのであるから、如何に「素人」であるかがよく分かる。小学生並の弁論術である。そして実は、その大半は悪意から発するものである.「素人」か「悪意」か、どちらにしても「敵」であろう.

産経が文書を提出しなければ、再び拒否する「つもり」らしい。そんな「つもり」が、どんな「つもり」かは知らないが、産経は文書を提出するだろうから、体面は保てるはずである。ところが、その内容は期待したものではないはずだ。しかし、ようやく保てた体面を、今さら捨てるわけにもいかず、この件の幕引きを狙ってくるだろう。

かつて赤い官房長官が得意気に使っていた決め台詞「諒とした」が再び登場しそうである。「内容的には納得が出来ませんが、取り敢えず文章が提出されましたので、これを諒として記者会見を続けることにしました」。これが予想されるオチである。

「取材の自由、報道の自由を私は制限するつもりは毛頭ございません」と空っぽの頭で、空念仏を唱えていれば世間は渡れる、と未だに信じているようである。産経が「政治的取引」に応じようと、マエハラが「誠司的判断」を繰り返そうと、前言撤回の常習犯、「口だけ」「言うだけ」には、何も変わりはない。この「事実」をどうやって曲げようというのか。我々に「諒とするつもり」は全くない。

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調査委委員会の報告も徐々に、本格的になっていくだろうと期待されるが、「そんなつもりはなかった」の一言で、最悪の原発初期対応すら誤魔化すつもりなのだ。日常的に法律を無視して、これまでの慣例を敵視して、己の思い込みだけで暴走した結果が、今の惨状を招いているのである。意識的に法律違反をして、それが無関係な人を死に追いやっているのである。本来なら助かったであろう人まで死なしているのである。

「そんなつもりで言ったのでない」
「誤解を与えたとしたら……」

こんな台詞で言い逃れが出来るのなら、「パワハラ」「セクハラ」など認定出来るはずもなかろう。被害者が何を訴えようと、「そんなつもりではなかった」「親しさを演出したかった」「励ましたかった」「誤解を与えたとしたら謝罪したい」と繰り返しておけば済むのである。

この連中は日本の全国民に対して、この種の詐欺を働いているのだ。

 財政を破綻させるつもりはなかった。
 治安を悪化させるつもりはなかった。
 デフレを促進するつもりはなかった。
 復旧復興を止めるつもりはなかった。
 御皇室を軽んずるつもりはなかった。

「謝って済むのなら警察は要らない」とは、子供の頃からよく聞かされた「脅し文句」である。そろそろ警察の出番ではないか。「個別の案件に答える立場にはございませんが、一般論としまして、内閣総理大臣が法律に違反して国民に犠牲を強いた場合には……」という答弁が、予算委員会で交わされる日を心待ちに待っている。

SP諸氏よ、護るべきは彼等ではない。
真の「マルタイ」は日本国民のはずであろう。

国民の多数を死に追いやった男が、何故生涯に渡って精鋭に護られ続けねばならぬのか、誠に理解に苦しむのである。天下り官僚が何億の退職金を貰おうが、特別に何も感じないが、この男に税金による護衛がつくことだけは、断じて許せないのである。「朝日の英雄」は朝日の当たらぬ場所に行け!