社民党は消えろ!存在自体が罪であり、税金の無駄! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【産経抄】2月26日





昭和11年、二・二六事件を起こした部隊は、首相官邸や警視庁などとともに三宅坂の上方一帯を占拠した。今の国会議事堂正門に向かって右手の辺りだ。当時は陸軍省、陸軍参謀本部、陸相官邸などがあり、「三宅坂上」は軍中枢の代名詞のように恐れられた。

 ▼だから決起した青年将校たちにとって「昭和維新」を成功させるためには真っ先に押さえる必要があったのだ。彼らの作戦本部や軍との交渉や駆け引きの場ともなった。つまりあの「昭和の大事件」のメーン舞台が「三宅坂上」だったのである。

 ▼だが戦後、陸軍省も参謀本部も解体され、跡地は憲政記念館や庭園、それに議事堂の一角となった。事件の痕跡はまったく見当たらない。陸軍省などがここにあったことを示す標識すらもない。「平和主義」のもと、事件も「三宅坂上」もきれいに消し去られたのだ。

 ▼代わりに「三宅坂」の代名詞で呼ばれていたのが旧社会党だ。昭和39年、坂に面して社会文化会館が建設され、党本部となった。「空想主義」「何でも反対」との批判はあったが、一定の支持を集め、自民党や官僚にとってはこちらも怖い「三宅坂」だった。

 ▼しかし平成8年、党名を社民党に変えたころから分裂を繰り返して党勢はやせ細る一方だ。支持者も大半は民主党に流れた。党本部もメンテナンスを怠ったため老朽化が進むが、資金不足で建て替えもままならない。移転もやむなくなっているようだ。

 ▼党自体も衆参10人の小所帯なのに、相変わらず内紛を繰り返している。このままでは存続も危ぶまれそうだ。「三宅坂」も「三宅坂上」のように歴史から抹殺されかねない。党の中身もメンテナンスしておくべきだったのだろう。