推古天皇陵、23日に初の立ち入り調査。
初の女性天皇で飛鳥時代の第33代・推古天皇(554~628年)と息子の竹田皇子を葬ったとされる大阪府太子町の推古天皇陵で23日、考古学研究者らによる初の立ち入り調査が行われる。宮内庁の調査で2つの横穴式石室があるとされているが、詳細は分かっておらず、今回の立ち入り調査で被葬者をめぐる謎解明の一歩へ期待がかかる。
推古天皇陵は東西63メートル、南北55メートルの長方形で、7世紀前半の築造とされる。同庁による約20年前の調査で、墳丘南側に横穴式石室の一部とみられる幅2~3メートルの巨石が3・5メートル間隔で東西に2つ並んでいるのを確認。石室が2つある可能性が高まった。
古事記や日本書紀によると、推古天皇は奈良・大野岡の竹田皇子の墓にいったん埋葬。この墓は奈良県橿原市で2つの横穴式石室が見つかった植山古墳とほぼ確定され、その後に現在の推古天皇陵に移されたという。
推古天皇陵でも、植山古墳と同様に2つの石室が並んでいれば、被葬者の信憑(しんぴょう)性は学術的により高くなる。ただし、石室とみられる東西2つの巨石は、宮内庁の調査では表面を覆う落ち葉などを除去しただけで本格的な発掘ではなく、石室の規模や副葬品などは不明。東西どちらが推古天皇の石室かなどは、謎のまま。今回の立ち入り調査で、石室の状況が少しでも分かれば研究が進む可能性もある。
陵墓問題に詳しい大久保徹也・徳島文理大教授(考古学)は「宮内庁によって確認された石材が石室の一部かどうかなど、現地で詳しく観察できれば、被葬者に迫るヒントが得られるかもしれない。トップクラスの古墳を直接観察できる意義は大きい」と話す。
23日の調査は、日本考古学協会などの研究者が墳丘1段目を歩いて観察するもので、発掘や測量はできない。同日は約1キロ離れた聖徳太子の父の用明天皇陵(太子町、一辺60メートル)でも立ち入り調査が行われる。
陵墓は原則的に宮内庁関係者以外は入れないが、平成20年から研究者団体の要請を受けて立ち入り調査を許可。これまでに神功(じんぐう)皇后陵(奈良市)、国内2番目の巨大前方後円墳、応神天皇陵(大阪府羽曳野市、全長約420メートル)など計5カ所で行われている。
23日に立ち入り調査が行われる推古天皇陵。被葬者の謎解明へ期待がかかる=大阪府太子町