私がミャンマーのヤンゴンで定宿としていたホテルには、電話の国際回線が一つしかなかった。「ビジネスセンター」とは名ばかりの貧弱な別棟にあり、原稿を送るためそこへ行くと、ボーイがストップウオッチを持って駆けつける。料金は1分まで8ドル。以降1分ごとに8ドルが加算されるというおおざっぱなもので、ほとんどぼったくりだった。
電話線をパソコンにつなげ、キーをたたいてしばらくすると、ピーヒョロロと音がする。「はい、つながった」。ボーイがストップウオッチを押す。パソコンの画面に文字が流れて、「はい、終わった」。「1分4秒」。いつも1分をわずかに超えて、16ドル取られる。釈然としなかった。
私は思案し、いいことを思いついた。パソコンを「ミュート(消音)」にして、ピーヒョロロを聞こえなくし、画面に文字が流れ始めたとき、「つながった」と言うのだ。思惑通りだった。ストップウオッチは54秒で止まった。私は8ドルの節約に成功した。
意外なことにボーイは喜んでくれた。みるみる笑顔になり、「よかったですね。本当によかった!」と言った。ボーイは数秒オーバーの私のことが気の毒で、8ドルの追加料金を請求するとき、いつも心苦しく思っていた。私はそのことにようやく気がついた。彼は職務に忠実で、まけることなどできなかったのだ。8ドルというとミャンマーでは大金。いたずら半分で“値引き”をたくらんだ自分が恥ずかしかった。
1990年代後半のことで、当時は「取材ビザ」が割と出やすく、頻繁にミャンマーに入ることができた。出会ったミャンマー人はみな、いい人ばかりだった。体制側の人たちも、反体制側の人たちも自らの立場に忠実なのだ。いいかげんだったり、こざかしかったりすることはなく、そのため、互いに妥協せず、停滞が続いた。ところが、ここへ来てようやく、両者が歩み寄りを見せている。
ミャンマー新政権は民主化改革に着手、欧米諸国は経済制裁の緩和へと動き始め、孤立していたミャンマーの潜在力が注目されるようになった。ミャンマーは中国、インドと国境を接する交通の要衝にあり、天然ガスなど豊富な天然資源に恵まれている。だが、注目すべきはミャンマー人のマンパワーである。この調子で国際社会への復帰が順調に進めば、ミャンマーが東南アジアの“ビジネスセンター”になると保証できる。
(編集委員 内畠嗣雅)