随分昔、ひょんなことから在日韓国 人の女性と知り合いになった。歳は自分より何年か上で、気さくな人だった。生まれも育ちも東京で、神輿でも担ぎそうな江戸っ子の雰囲気があった。開けっぴろげな性格なのだろう。尋ねもしないのに、私は在日なのよ、と本人が云い出した。
へえ、そうなの。そんな風に答えたと思うが、別に何の違和感も持たなかった。東京の下町には在日韓国 人や朝鮮人が結構多い。学校のクラスにもひとりふたりは必ずいたように思う。みんな一緒に遊んでいたし、差別とか区別なんて考えもつかなかった。
だから、どこかに差別的な感情があるでしょう?と彼女が聞いてきたときには、こちらが驚いた。まさか、と答えたが、向こうは納得しない。ふだんの生活では目だった差別はないのよ。でもね。ほら、就職とか結婚とかになるとね、やはり日本人の社会では嫌われる存在なのよ。そう云うと、彼女はちょっと淋しげな表情になり、さらに続けた。
いつも自分は日本人だと思っているのに、ある日、日本人ではない現実に直面する。日本こそ自分の国だと思って一生懸命頑張っても、肝心なところで差別される。でも、まあ、外国人だから差別はあっても仕方ないのよね。困るのは、私たち在日って韓国 でも激しく差別されるってことね。
こちらは思わぬ言葉にきょとんとしてしまった。え、本国の韓国人が在日韓国 人を差別する?それも激しく?ホント?なぜ。なぜ。
この質問に対する彼女の説明は明快だった。実は在日同胞の多くが韓国 社会における被差別階級出身だと云うのだ。外からはわからないが、韓国 には古臭いカーストみたいな身分制度がある。出身地や職業で貴賎が決まっていて一生つきまとう。生まれの卑しい者は酷い仕打ちを受けて当然と誰もが思っている。低い身分の者が極貧から抜け出すのはとても難しい。
だからこそ、と彼女は言葉に力を込めた。親たちは日本に渡ってきたのよ。日本に行っても悲惨な生活が待っているのは想像がついた。外国人として差別されるのも分っていた。でも同じ韓国 人に差別されるよりはずっとマシだし、何より日本には夢や希望があった。今も昔も日本は自分たち韓国 人にとって憧れの国なのよ。
彼女とのこんな会話を思い出したのは、金正恩の母親が在日朝鮮人だったことが北朝鮮では秘密だと報じられたときだ。日本と朝鮮半島の歴史的な関係を思えば、在日が隠すべき事実とは思えない。おおかた母親の半島における出身地や階級が問題なのだろう。閉鎖的な朝鮮社会だけにカースト的な考えが根強いに違いない。
さて、孫正義 評伝なる本が出版された。もしかしたら出身を辿ると、上記の女性が云うとおり、被差別的な階級だったのかも知れない。でも毀誉褒貶はあるものの、彼は大企業の創業者にしてトップに君臨する成功者だ。本人の努力と運に依るものだとは思うが、やはり日本に来たことがとてもプラスになったのだろう。
日本は世界標準から見て、例外的なほど平等な社会であり、誰もが頑張れば成功できる理想的な国だ。このあたり、わが国の素晴らしさが、孫正義 評伝にも書かれているのだろうか。少し興味をそそられる。