ネルソン提督に部下が心酔した理由。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







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2012.01.25(水)桜林 美佐:プロフィール



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 野田内閣が改造され、いよいよ始動となった日、テレビ画面の向こうに眼帯をした首相の姿が映った。

 私はそれを見て、歴史上のある有名な人物を思い出した。イギリスの名将ネルソン提督(1758~1805)だ。1805年のトラファルガー海戦でフランス・スペインの連合艦隊を破り、ナポレオンによる英国本土への侵攻を阻止したその人物である。

ネルソンはなぜ「メダル」にこだわったのか

 ネルソンは36歳の時、コルシカ島の陸上戦闘で右目を失明していた。その後の戦闘では右腕を切断。しまいには隻眼・隻腕の提督となってしまっていた。

 2列縦陣で敵艦隊のど真ん中に突っ込んでいく、いわゆる「ネルソンタッチ」は大胆な戦法として知られるが、ネルソンは私生活も大胆と言おうか純粋と言うべきか、恩人の妻に一目惚れし、その夫婦の家に同居するという奇妙な三角関係を続けていたことでも知られている。

 しかし、部下からの人望は厚かった。トラファルガー海戦で戦死した際は、部下が遺体をラム酒に漬けて英国まで運び、ネルソンを慕っていた水兵たちが「提督にあやかりたい」と、そのラム酒を飲み干してしまったという逸話もある。

 なぜ、それほどまでに人気があったのかというと、とにかく部下思いだったのだ。

 戦いを終えてロンドンに着くたびに、自分のことは後回しにしても、兵士たちのしかるべき給料獲得や保障のため、自ら政府との交渉に奔走した。

 上司からの覚えは決して目出度くはなかったが、そんなことはどこ吹く風で、唯一の夢は「海軍広報紙の1面に名前が出ること!」だと、いつも口にしていたというから、まるで子供のような無邪気さだったようだ。

 そして、部下思いの彼が強くこだわったのは、記念メダル(記章)だった。戦いに勝利した時にもらえるもので、将官が金メダル、将校が銀メダル、水兵や海兵隊員は銅メダルかホワイトメダルを授与されることになっていた。

メダルを一番大事にし、終生身近に置いたのは、多くの場合、水兵たちだった。彼らは、一生の思い出、あるいは家宝として事あるごとに親類や友人に披露した。

 そうした末端の乗組員の心情もよく理解していたネルソンは、政府が「近隣諸国への配慮」といった理由でメダルの発行を取り止める方針だと知った時に、猛烈に反対し、書簡を送り、あるいは自ら足を運んで働きかけを続けたのだ。

 多くの提督たちにとっては記念行事のたびにもらう「たかがメダル」であり、それほどの価値はなかったが、水兵たちはこの小さなご褒美のために命を懸けている。金もかかるからと「仕分け」しようとする政府に対し、ネルソンは金銭に替えられない「名誉」の重さを訴え続けた。

誇りも名誉も考慮されない自衛官

 さて、時は移ろい二百余年後の日本。隻眼(!?)の自衛隊最高指揮官がやろうとしていることは何か。

 それは、国家公務員の給与削減であり、さらに給料の安い第2自衛官(準自衛官)なるものをつくろうという試みである。

 だいたい、自衛官が「国家公務員」という立場であることからして、誇りも名誉も考慮していないことは明白であるが、その上さらに、士気を削ぐ政策のオンパレードである。

 国家公務員の定数削減についても、自衛隊員は例外化されない。東日本大震災で技官や事務官が減っていることの弊害が多々あったにもかかわらず、方向性は見直されない模様だ。

 では、「名誉」についてはどうだろう。これはもっとお寒い状況だ。制服組トップの統合幕僚長も天皇陛下が任命する認証官ではないなど、服務の宣誓で「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め・・・」と言わせている割には、国家としてその身分を真に尊重しているとは言えない状態は続いている。

また、元自衛官の方々の叙勲も、過酷な任務で国家に尽くしていても、今なお等級が低く、対象者数も限定的だ。

提督への忠誠心が成功させた敵艦隊への突入

 ネルソン提督は、1805年10月21日トラファルガーの海戦で敵弾に倒れた。着衣に多くの勲章やメダルを付けていたために敵の狙撃兵から狙われやすく、幕僚からそれらを外すよう進言されたがキッパリと拒んだという。

 戦いの庭に出る者だけが知っている大切なもの。ネルソン提督にとって、肩に戴く「名誉と誇り」は生死をともにする分身のようなもので、少しの躊躇もなかったのだろう。

 そして、戦いの直前まで、部下たちへのメダル発行のために必死になっていた提督に、全ての兵士が忠誠を近い、だからこそ敵艦隊に突入するという無謀な作戦を成功させられたとも言えるのではないだろうか。

 ロンドンのトラファルガー広場にネルソン提督の銅像が建てられたのは、この壮絶な戦死から30年以上経ってからのことだったという。

 このスキャンダラスで破天荒な英雄を、国として認めることははばかられたようだ。しかし、もしネルソンのような男がいなかったら、ナポレオンはドーバー海峡を渡り、イギリスの運命は大きく変わっていたかもしれないだろう。

 「自衛官の倅」を標榜する首相の眼帯姿を見て、ついつい200年前の英雄に思いを馳せた。ネルソンはトラファルガーでの決戦の頃、失明していた右目だけでなく、左目の視力も失われつつあったとも聞く。

 たとえ「視界不良」であっても、「この人ならば」と思わせる魅力があれば国難も乗り切れると思うが、果たしてわが国はどうであろうか。