【今日の突破口】ジャーナリスト・東谷暁
昨年12月26日、東京電力福島第1原子力発電所における事故調査・検証委員会が「中間報告」を公表した。同委員会は「失敗学」の畑村洋太郎氏が委員長を務めていることもあり大いに期待していたが、いくつかの点で首をかしげざるを得なかった。
まず、肝心の津波の予測可能性について。平成20年に東京電力は津波リスクの再検討を行い「福島第1原発において15メートルを超える想定波高の数値を得た」。また、同電力は「佐竹論文」に記載された「貞観津波の波源モデルを基に波高を計算し、9メートルを超える数値を得た」という。
しかし東電は、前者が「三陸沖の波源モデルを福島沖に仮置きして試算した仮想的な数値にすぎず」、後者は「十分に根拠のある知見とは見なされないとして」、具体的な対策の着手には至らなかった。
中間報告は、右のように述べて「自然現象は大きな不確実性を伴う」ものであり、「過去の文献等により再現」できる範囲も限られるので、この数値に基づいて「具体的な津波対策を講じておくことが望まれたと考える」と結論づけている。
一見、妥当な議論のように思われるが、何かが足りない。シミュレーション予測で15メートルと9メートルという、津波前の想定約6メートルを超える数値が得られていたことは分かる。しかし、それがどれくらいの期間にどれくらいの確率で生じるとされたのか。予測には必ずついてまわる、これらの数値を検討していないのだ。
報道によると、東電のチームは福島第1原発を襲う津波の想定期間と確率を国際会議で発表していた。その発表によれば、これから50年間に9メートルを超える津波が襲うのは1%、13メートルが0・1%、さらに15メートルの可能性もあり得るというものだった。
原発被害は波及範囲が大きいから50年間で1%でも0・1%以下でも何らかの対策は必要だったろう。しかし、これらの数値がどれほどの切実性をもっていたか、当時の認識を前提として考察する必要はないのだろうか。例えばいま関東大震災級の首都圏地震は30年間に70%もの確率で起こるとされているが、住民退去や都市改造は行われていない。それはまだ切実と思えないからだ。
中間報告は想定を超える数値が得られていたことを強調するが、それでは結果から後知恵で対策のないことを断罪しただけだ。しかも想定波高を超える津波が「1万年に一度の頻度」であっても、「不確かさを包含できるほど十分」な対応をするのが「工学の考え方」だなどと論じる。このほうがよほど傲慢ではないか。
もうひとつ、畑村氏の「失敗学」では、海外の技術が移植されたさい、その原型にあった設計思想が忘れ去られたことで思わぬ事故を起こした例があげられている。今回も津波を前提としない米国で設計された原発であったため、非常用発電機を地下に据えるものだったことなど、技術移植の問題がもっと指摘されてもよい。しかし、そうした観点には東海原発で触れているだけで、今回のケースについては言及がない。
この中間報告は、あくまで途中段階のものと断っているが、中間報告で真剣に議論されていないことが、最終報告で解明されるような事態はまずありえない。委員会は断罪よりも、まず教訓を追求すべきではないのだろうか。
(ひがしたに さとし)