【本郷和人の日本史ナナメ読み】
前回はNHK大河ドラマに合わせて平清盛の話題でしたが、毛利元就(もとなり)の話に戻ります。
元就は多くの書状を残しました。そこには彼の心情が吐露されていて、まことに興味深く読むことができます。たとえばこんな具合です。
「わたしが兄の興元に死別し、毛利の家を預かって40年あまり。そのあいだに大波小波、どれほどの転変がわが家や他の家を襲っただろう。その中で、元就一人がすべりぬけて、今こうして(中国の覇者として繁栄して)いる。これはまことに不思議なことだ。わたしは勇者でも屈強な者でもない。知恵才覚が人よりまさっているわけでもないし、正直で行いが清らかゆえに神仏の加護がある者でもない。凡人であるのに、このように生きながらえることができた。われながら、思いも寄らぬことだ(大日本古文書『毛利家文書』2-405)」
かくも心の内を率直に明かしてくれる戦国大名は、他には見当たりません。
嫡男の隆元(たかもと)に対しては「わたしに対する親孝行と、神仏への信仰はまことにみごと」とほめておいて、今は「くだりはてたる世の中」なのだから「芸も能も慰めもいらず候。武略・計略・調略かたのことまでにて候(『毛利家文書』2-413)」と教え諭す。「武略、計略、調略」とたたみかけるところは、謀略の達人であった元就の面目躍如といったところですが、まあいかにもと言ってしまえば、いかにもな感じ。でも次の、小早川隆景(たかかげ)への教訓にはびっくりです。
「隆景どの、今のあなたには、理屈も法も戦略も必要ない。人の嫌がることを遠ざけ、人が良しとすることのみを行う、そうした愚直な生き方が肝要だ。このたびは残念なことに豊後の大友家との縁が切れ、また合戦になってしまったが、これこそ隆景どのの思う壺、とみんな言ってるそうだ。伊予への出兵もそうだ。隆景どのの差し金によるいくさ、と家臣たち皆がいっている。こういうことになるから、今のあなたには理屈も戦略も不要だ、と父は言うのだ。今まであなたは、自己の才能に任せて、諸事に関わってきた。しかしこれ以後は、けっして策動をしてはならない。本分を守り、世上のことに軽々に関与せぬが良い(『毛利家文書』2-579)」
隆景はいうまでもなく、元就の三男。元就の智略をもっとも良く受け継いだ、といわれていました。兄の吉川元春とともに本家の輝元(隆元の子。隆景の甥)を補佐し、羽柴秀吉と戦います。本能寺の変後は一早く秀吉とよしみを結び、毛利家の繁栄を維持しました。秀吉から伊予一国、のちには筑前国を与えられて大大名となり、五大老の一人にも任じられている。まぎれもない「傑物」です。
その隆景に、元就は「自己の才能に溺れるな」、と忠告します。これはなかなか、言えないのではないか。学校も教師もいない中で、元就は実戦で鍛えられながら、こうした意見をもつまでに自己を磨き上げた。その思考は戦国という時代の水準を軽く飛び越えている。もしかしたら、現代の企業トップも務まるのではないか。そんな思いを抱かせるのが、老練な元就という人物なのです。
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豊臣政権の重臣・小早川隆景
豊臣秀吉は淀君が秀頼を産むと、甥(おい)の秀秋がじゃまになり、実子のない毛利輝元の養子に出そうとした。隆景はこれを知ると、毛利家を守るため自身が秀秋を養子にしたという。だがこれは作り話らしい。隆景は豊臣政権下での発言力を得るため、進んでこの縁組を進めたようだ。
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【プロフィル】本郷和人
ほんごう・かずと 東大史料編纂所准教授。昭和35年、東京都生まれ。東大文学部卒。専門は日本中世史。