日本国民強靱化計画。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。




年頭にあたり本年の目標を掲げた。京都大学藤井聡教授の提唱になる「日本列島強靱化計画」を真似た「日本国民強靱化計画」である。

教授の目指すところは、最終的には人の問題に帰着する。計画もあり、それを遂行するに必要な財源もあり、技術もあり、マンパワーもあり、阻むものは何もないはずの国土強靱化の道を、一体何が阻害しているのか。

阻むものは我々国民の「意識」だけなのである。従って、「否定困難な魔法の言葉」によって操られた国民の意識を糺し、現状を冷静に判断する能力を個々人が持つことによって、列島強靱化は忽ち成し遂げられる。その意味で、国土計画や財源問題、細かい技術、バックアップ体制など多岐に渡る専門的問題は、まさに一流の専門家に任せて、我々は主に「国民の意識改革」に注力するべきではあるまいか。それこそが「列島強靱化」への最短経路なのではあるまいか。

「情報弱者」という言葉が使われるようになって久しいが、「国民強靱化計画」の軸は、広く国民が正しい情報を共有すること、そして、その情報が齎す真の意味を正しく把握出来るようにすること、この二点に尽きるだろう。

本来なら、これは全てマスコミが為すべきことである。しかしながら、我が国のマスコミは、むしろその逆方向を向いている。恣意的な情報を流して、素人同然の「自称専門家」に、自分達にとって都合のよい解釈だけをさせて、それをあたかも「本物のプロの見方」のように広めている。

こうした報道番組での偏向だけではない。年末年始の誠に惨憺たる番組ラインアップを見れば、まさに一目瞭然のことではあるが、今やテレビ局は普通の娯楽すら提供出来ない状態に成り果てている。そして、それは格好の政治プロパガンダの場所として転用されている。即ち、報道だけではなく、娯楽まで「政治的に偏向」し、さらに娯楽の名を借りて「捏造のお先棒を担ぐ」までになっている。「何とかブーム」がその証拠である。

これは最早「見なければいい」「見ないから大丈夫」という話ではないのだ。今なお国民の多くが、こうした問題点を持たず、垂れ流しのマスコミ報道、新聞記事等を無批判に読んでいる状態では、平時のツケがそのまま有事に回ってきてしまう。それが偏向・捏造を画策する者達の真の意図なのである。

国家が平穏無事な時には、経済の動向を探る「景気」の話ではなく、百貨店の「ケーキ」の安売り情報でもいいだろう。しかし、こうした報道姿勢は、「有事における国民の判断を著しく歪めることが目的」であるとしたら、安売りケーキの為に、国を安売りすることになってしまう。少なくとも国民の一人として、それに加担したことになってしまう。

TPP問題、消費税問題、公共投資の問題、年金、基地、原発、その他様々な「偏向情報」が国土全体を覆い尽くしている。この一々を糺していかねばならない。一つひとつを丁寧に論じ、巷に溢れる「ある意図を持って歪められた情報」から、周囲の人を助け出さねばならない。

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しかし、これだけ多方面に多角的に繰り広げられている「列島脆弱化計画」に対抗することが出来るのだろうか。人生に特効薬が無いが如く、この問題の解決にも特効薬は無い。あるのは地道な日頃の精進だけである。我々にとって極めて好都合なことは、こうした意識を持った人々、今この記事を読んで頂いている人々のバックグランドが、それぞれ全く異なることである。

従って、個々人が自らの得意分野で、自分の領域で少しずつ活動するだけで、全体としては大半の分野をカバー出来るのである。それが組織化された左翼運動との決定的な違いである。我々は組織化されていないが故に柔軟であり、カバーするエリアが広く、また臨機応変な対応が可能なのである。日々同じ内容のことを書き続ける人も居れば、毎回、工夫を凝らして話題を拡げる人も居る、それでいいのである。

如何にマスコミが偏向しようと、嘘を垂れ流そうと、それを見抜く専門知識を持った人が、この瞬間にも何処かのサイトにアクセスされている。そこで「あれは嘘ですね、少なくとも正確ではない話です。そもそも……」と書いて頂ければ、もうそれだけで引き金は引かれたことになる。「弾の行方は弾に聞いてくれ」で充分である。


ネットを中心にした様々な活動は、これまでに相当の戦果を挙げてきた。それはなかなか気付かないことではあるが、実際に世の中を動かしてきたのである。「ネットの中で幾ら騒いでも現実は変わらない」と今なお主張する者がいたら、それは反対陣営の宣伝工作、こちらのやる気を挫く戦略だと断じてよい。

人間は二つの人生を歩めない。人間の集合体である社会も同様である。従って、我々が何かを書いた「この現実の社会」と、書かなかった「空想上の社会」を比べることは出来ないのである。この絶対に比較出来ない二つの社会を比べて、「何も変わらない」と嘆くのは愚かである。「ここが変わった」と断じるのも性急である。

言えることは、「何処かが確実に変わってきた」こと、賛同者が増えるに従って、その変化の動きはより加速されていること、そして変わった分野も、変わらなかった分野も、共にありのままに認めて、自分の頭で考えた結論として、次の行動の礎にしていくことしかないのである。

少なくとも十年前までは、アナウンサーは憧れの職業の一つであった。今は概ね侮蔑の対象である。その昔、子供がマスコミに就職したと聞けば、親は「それは大変だ」と答えた。今も同じく親は「それは大変だ」と答える。しかし、その意味は正反対になっている。明らかに変わってきているのである。


今年は世界中が大きく動く年になる。その中で我が国は比較的に平穏だろう。しかし、それは生きるか死ぬかという状況の中での「平穏」に過ぎず、またそうした安定感は、逆に他国からの侵略を呼び込む餌にもなる。そして、民主党が政権の座にある限り、その「平穏」も長くは続かず、加速度的に生死不明の地獄に落とされてしまうだろう。

我々は足下を見ながら、こうした世界情勢にも目配りをして、友人を知人を、そして何より自分自身を政治プロパガンダに利用されない自己に、強靱化された自己に改造していかねばならない。

国民の強靱化こそが、政治を動かす。政治を糺す。
解散総選挙に向けて、強くそう思うのである。