四文字の呪い:「政界再編」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

スクープ!小倉智昭・中野美奈子のアレ!!








夕刻の備忘録 様のブログより。





近頃政界で流行る言葉。
消えては現れ、現れては消える。
黒船四隻にも勝る不思議な四文字。
僅か四文字で国をダメにする魔法の言葉。

「政権交代」、そして「政界再編」。

マスコミは三年前、何と言っていたか。
「今こそ政権交代が必要だ」
「古い政治と決別しなければならない」
「自民党は賞味期限が過ぎた」
「民主党にも保守派がいる」
そして「一度やらせればいい、ダメなら変えればいい」

その全てが嘘であったことが明らかになった今。
ダメでも変えられない今。
マスコミは論調を少しずつ変えている。
「長い目で見ろ」と。自民党は五十年間やったのだ。
「民主党にもそれぐらいの期間が必要だ」と。

マスコミ論理の簡単なまとめ:

「一度民主党にやらせてみたらいい」
「今さら自民党に戻せるわけがない」
よって民主党永久政権誕生!

               ★ ★ ★ ★ ★

民主党の致命的な欠陥が、徹底的に洗い出された今。
それが国民に浸透しつつある今。
マスコミは戦略をさらに変えてきた。

「民主党もダメだが自民党はもっとダメだ」と。
「今こそ政界再編ではないか」と。

国を破壊する魔法の言葉が「政権交代」から「政界再編」へと、まさに“政権交代した”わけである。「政界再編」とは何か。自民党と民主党の保守勢力が大同団結して、新たな党を作り、政治を変えていくとの主張らしい。

ところで、その民主党保守派とは誰のことなのか。恐怖の売国政治を続ける民主党内に今なお留まって、教条的党議拘束の中で唯唯諾々として票を投じている陣笠の中に、「保守派」などというものが存在するのか。自民党の政治を全否定するということは、大戦後の日本の政治を全否定することであり、国民の歩みを全否定することであり、それは歴史を全否定すれば、自分だけは無謬で居られるというある種の病気である。

大阪の選挙結果を要約するに際して、マスコミは「既成政党が否定された」と声高に論じた。民主でもない自民でもない、新しい勢力の台頭こそが期待されていると、己の願望を恰も有権者のそれであるが如く、熱心に喧伝していた。

既成政党の否定も、政界再編も、その全ては革新派の戦略である。民主党に変えればいい、変えたら二度とは戻させない、それが本音である。これは「民主党永久政権誕生」への布石であった。それが叶わぬなら、今度は新勢力に望みを託そうというのである。

民主党左派と自民党左派を集めた新政党を作らせて、「保守大同団結」と報じればいい。構うことなどあるもんか、政治に無関心な浮動票に左も右も関係ない。政界再編の名の下で、良識派が集まった清新な政党が生まれた。古い政治、自民でも民主でもない新しい政治勢力が結集した、と宣伝さえすれば、それで「事実上の民主党永久政権」が出来るという算段である。

その一方で、「党ではなく人を見よ」と言われても、議会を動かすのは多数派である。多数を有する政党である。五百人・五百政党になって、どうやって収拾がつくのか。政策ごとに法案ごとに離合集散を繰り返す「烏合の衆」に、如何なる方法をもって有権者は対峙できるのか。人柄がよく崇高な政治理念を有し、リーダーシップに優れ、そして身を捨てる覚悟をもった人物が、一つの政党すらまとめられないはずがない。その優れた個人が信頼を置き、党人となっている組織なら、現実的にはそれを信用するしかあるまいに。

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魔法の言葉に御用心。
政界再編とガラガラポン。

何処の馬鹿が言いだしたのか。多用していたのは大前だと記憶するが、この何とも低次元な、音も下品なら中身も無いガラガラポン。さらに略して「ガラポン」などという言葉を得意気に使う人間に、政治を語らせてはならない。

市場の籤引きとの連想で、取っ手を回せば全体が掻き混ぜられて、中から「当たり玉」が「ポン」と出て来るとでも思っているのだろうが、中に「当たりがある」と誰が見たというのか。民主もダメで自民もダメなのに、どうして掻き混ぜれば、そこから当たり籤が出て来ることになるのか。全く理解出来ない発想である。

今我々が望むこと、今我々に出来ることは、何が何でも「一度自民党政権に戻す」ことである。政治に安定を、信頼を取り戻すことである。

「一度自民党に戻して欲しい」である。
「ダメならまた戻せばいいから」である。
そしてその後に「今さら民主党に戻せるわけがない」である。

一度は自民党に戻して、内政外交の失点を取り戻す必要がある。
世界の政治の中で、正当な力を発揮できるのは自民党しかない。
兎に角、何もかもキャンセルして、三年前の水準に戻すべきである。
それが出来るのは自民党しかないのである。

如何なる形であれ「政界再編論」は、自民党政権下で行うべき論戦である。今の状況での再編論は、民主永久政権に道を拓く悪魔の誘いである。

仮に政界再編とやらが行われ、右派と左派が綺麗に分別されたとして、廃棄されるのは右派である。再編後の政権はまたしても左翼政権である。それが政界再編論者の狙いである。その本音を知ってか知らずか、これに飛びつく自称保守派の人々は、誠に愚かとしかいいようがない。存在すらしていない「空想的保守政党」が、総選挙で与党になると夢想するのは、左翼顔負けのお花畑としかいいようがない。

一体何時になったら、革新派の狡猾さを、その汚さを学ぶのだろうか。保守派の中に彼等のスパイはいる。議論を誘導する「論客」とやらがいる。しかし、その逆はない。これが現実である。

次なる自民党政権が誕生し、現状の混乱が修復された時、その時こそ自民党の耐用年数、賞味期限とやらが議論されるべき状況になる。本来、混乱した状況の中で「歴史と伝統を重んじる保守政党」など出来るはずがないのである。既成政党の政治にトドメを刺すというのなら、それは自民党政権下において、自民党主導の元で行わなければならない。それが不可能だというのなら、それ以外の方法はもっと不可能である。

国民は無意味な「破壊衝動」を抑えねばならない。
その衝動は「自らを破壊することだ」と知らねばならない。

既成政党を論難し、派手な人間に票を入れ、地道な議員を落選させて、若さと素人ぶりに清新さを見るという愚かさから脱却すべきなのである。破壊の後に創造が来るなどと寝とぼけないで欲しい。破壊した跡にはただ廃墟があるだけである。秩序の破壊は国家の死である。それを知ってなお破壊衝動が抑えられない人は、単なる自殺志願者に過ぎない。無理心中の道連れだけは御免蒙る。