【皇室ウイークリー】(209) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









心ない報道は雅子さまの「お耳に入る」 

宮内庁長官「迷惑千万」の矛先は?




 天皇陛下の入院に伴い、皇太子さまが11月7日から担われていた国事行為臨時代行を解除することが6日の閣議で決定され、陛下は同日、約1カ月ぶりの国事行為となる執務を行われた。

 国事行為以外にも、陛下は皇居での公的活動に取り組まれた。7日には天皇、皇后両陛下で、障害を乗り越え社会で活動する「障害者自立更生者」や障害者を支える福祉関係者らと面会された。

 陛下は8日、皇居・宮殿でコスタリカの女性元首、チンチジャ大統領と会見された。宮内庁によると、陛下は東日本大震災の発生後、大統領から丁重な見舞いの言葉が届いたことに触れ、「感謝します」と述べられたという。会見では、コスタリカが取り組んでいる風力や水力などの自然エネルギーも話題にのぼったそうだ。

 引き続き午餐が催され、両陛下と皇太子さま、秋篠宮ご夫妻が臨まれた。通常、会見後の午餐では元首が単身の場合、男性皇族だけが同席されるが、今回は女性の元首であったことや、秋篠宮ご夫妻が1月に同国を公式訪問されていることから、皇后さまと秋篠宮妃紀子さまも参加されたという。

 宮内庁の羽毛田信吾長官は8日の定例会見で、陛下の近況について「ご退院後、吹上(御苑)の中をご散策されていると聞きました。まだ紅葉が間に合って、紅葉をみることができてよかったとおっしゃっておられました」と話した。

 皇太子妃雅子さまは9日、48歳の誕生日を迎え、宮内庁を通じて感想を発表された。感想の全文と、同時に発表された東宮職医師団による雅子さまのご病状に対する見解は全文をすでに掲載しているのでそちらを見ていただきたい。

雅子さまが1年半にわたって行ってきた、愛子さまの登下校へのお付き添いについては、「学校とも相談を重ねてまいりましたが、愛子の学校への付き添いは、与えられた状況の中で唯一取れる可能性として続けてきたものでした」(ご感想)、「学校側と協議を重ねたあげくに、内親王殿下が学校生活に戻ることが出来る唯一の方法として始められ、続けてこられた」(見解)と、双方に触れられている。

 つまり、学校側と相談した末、「不安を持たれた愛子さまが通学を続けるには、この方法しかない」という結論に至り、雅子さまが行われてきたというのだ。これは、初めて明かされた内容だ。

 医師団見解は昨年から大幅にボリュームアップした。週刊誌などの誤った記事が、雅子さまの体調に悪影響を与えているとする意見を明確に出し、「心のケアが重要な社会的課題になっているなか、心ない報道が平然と繰り返されている現状に専門家として憤りを覚えるものであり、この状況が改善されない限り順調なご快復は望めないと考えております」と、厳しく非難していることが最大の特徴といえるだろう。

 昨年の見解では報道とご体調の関連性に触れていないが、東宮職によると、過去には今年のように盛り込まれたこともあったという。「雅子さまは週刊誌報道をご存じなのか?」と記者から尋ねられた小町恭士東宮大夫は、詳しい説明は避けたが、「全部かは別として、お耳に入ってらっしゃると思います」と説明。新聞をお手元に届ける際も、雑誌広告を隠すようなことはしていないことを明らかにした。

陛下のご入院、女性宮家、秋篠宮さまが言及された「陛下の定年制」などのトピックで、近頃皇室がらみの記事の量が増えている週刊誌に対しては、宮内庁の羽毛田長官も、前述した8日の定例会見で苦言を呈した。矛先は「女性自身」が掲載した、皇族の離婚計画が進み、宮内庁幹部が極秘で政治家らと会談を行っている-とする記事だ。

 長官は「下にご丁寧に私の写真があり、迷惑千万なのですが…」と苦笑した上で、事実関係を否定。「ばかばかしい」と繰り返し、不快感を示した。記事で宮内庁幹部が当事者として登場することについては、「その幹部がだれだか明らかにしてほしい」と述べた。

 長官ら宮内庁幹部が、会見の場で特定の記事の内容に反論することはよくあるが、今回は特別に「きつい表現」だった。

 皇太子さまは4日、都内の千代田区立番町小学校の創立140周年記念式典に臨席された。同小は明治5年の学制交付前に開校した日本最古の小学校の一つで、宮内庁によると、同様の小学校の節目の式典には、昭和天皇と香淳皇后、皇太子時代の両陛下も出席されている。

 同小学校には、東日本大震災や福島第1原発事故の影響で都内に避難している児童16人が通っており、式典後、皇太子さまは福島県いわき市から避難している児童2人に「震災の時は大変だったのでは?」「勉強はどうですか?」と声をかけられた。

 続いて皇太子さまは児童の絵画などをご覧に。案内役の3年生の児童から「殿下は(子供のころ)どんな遊びをしましたか?」「殿下は動物が好きですか?」などと質問され、皇太子さまが「野球が好きでした」「小学生のころは鳥が好きでした。カメも飼っていました。あと、魚も…」と答えられる場面もあった。

また、今週は皇居内にある宮内庁講堂で、この時期恒例の「宮内庁職員組合文化祭」が始まった。その名の通り、宮内庁職員やOBらが美術、書道などの作品を披露する催しで、一般の方には公開されていないが、両陛下や皇族方が作品を出品されることが恒例となっており、若い皇族方のご成長ぶりがうかがえるのも見所だ。昨年は皇太子さまと愛子さまも、土曜日に会場を訪問された。

 今年、皇室の方々が出品されたのは計17点。皇太子さまは、昭和62年にブータンで撮られた写真を披露された。同国の国王夫妻が先月来日したことで、当時を懐かしく思い出されたのかもしれない。

 愛子さまは、10月におけいこで書かれたという書道作品「実りの秋」をご出品。右には小さくひらがなで「あいこ」と書かれていた。夏の那須御用邸での静養期間中に作られた吹きガラスの風鈴、キャンドルも展示された。

 秋篠宮家の長男、悠仁さまは折り紙を組み合わせたカラフルな多面体5つを出品された。作品の解説によると、ご家族をイメージして作られたとのことで、家族構成に合わせられたのか、少しだけ大きさが異なる大きい多面体が2つ、小さいものが1つ、その中間の大きさのものが2つ並べられていた。

 鳥の写真集を出版する腕前の高円宮妃久子さまは、北海道の知床で撮ったシロカモメと、島根県で撮影したキンクロハジロの写真を出品された。次女の典子さまも、ご自身が撮った写真の上に、イメージに合う柿本人麻呂の和歌を書いた作品を出品し、達筆を披露された。

 


各宮家は今週もさまざまな公務を果たされた。

秋篠宮さまは3日、都市センターホテル(千代田区)で、生き物文化誌学会「BIOSTORY」編集会議に出席された。5日、進化生物学研究所(東京都世田谷区)で、生き物文化誌学会常任理事会にご臨席。6、7の両日、北海道を訪れ、東京農業大学生物産業学部の講義をされた。8日には東京大学総合研究博物館(東京都文京区)で、研究会に出席された。

 紀子さまは4日、共立女子学園共立講堂(千代田区)で、聴覚障害者教育福祉協会創立80周年記念第34回聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会に臨席された。5日、丸の内オアゾ(千代田区)で、第22回「避難民の子どもたちに光を」募金キャンペーンにおける「希望の木」点灯式に臨まれた。

 常陸宮ご夫妻は8日、川崎市市民ミュージアム(川崎市)で、第30回(平成23年度)肢体不自由児・者の美術展を鑑賞し、表彰式に臨まれた。

 寛仁親王殿下の長女、彬子さまは7日、埼玉鴨場(埼玉県越谷市)で、外交団鴨場接待に臨まれた。

 高円宮妃久子さまは3日、ホテルニューオータニ東京(千代田区)で、第61回全国小・中学校作文コンクール中央表彰式に臨席された。7日、東京プリンスホテル(東京都港区)で、いけばなインターナショナル東京支部フェア2011に臨まれた。同日、国際文化会館(港区)で、「夢の国のちびっこバク」ポルトガル語版出版記念パーティーに出席された。8日、日本外国特派員協会(千代田区)で、第7回日米ユースフォーラムに臨まれた。