70年前の今日、わが帝国海軍は真珠湾攻撃により対米戦争の火蓋を切った。この報を伝え聞き歓喜の声を上げたのは日本国民ばかりじゃない。欧米列強の植民地支配を覆す聖戦がはじまったと、アジアの民は涙を流し小躍りして喜んだ。ドイツ 、イタリア 、フィンランド、ハンガリー、ポーランド など枢軸国の国民は、強い味方の参戦に祝杯を上げた。
今振り返っても、真珠湾攻撃は実に鮮やかだ。帝国海軍の誇る航空母艦から戦闘機や爆撃儀が飛び立ち、ハワイ の小島 で惰眠をむさぼる太平洋艦隊を次々と沈めた。航空機が活躍するなんて、海戦史上初めてのことだ。まさに日本の軍人魂と高度な技術が華開いた、誇らしい瞬間だった。
但し振り返ってみれば、なぜ石油備蓄 基地を破壊しなかったのかと悔いが残る。いや何よりも、一世代前の老朽艦を沈めただけで、敵の新鋭艦には手付かずだったのが惜しくてならない。真珠湾攻撃を早々に手仕舞いせず、ハワイ 沖にいたアメリカの機動艦隊を見つけて沈めてしまえば、僅か半年後、ミッドウェイで帝国艦隊が壊滅される筈がなかったのだ。この意味では真珠湾攻撃は失敗だった。
実際に山本長官以下、連合 艦隊の全員が乏しい戦果に愕然としたらしい。真珠湾への往路は戦への高揚感で胸を膨らませていたのに、帰路は全員お通夜のような状態だったと、当時、旗艦赤城に乗っていた元軍人の叔父に聞いた。本来の攻撃目標だった新鋭機動艦隊は見つかりもしませんでした、などと云えるわけがない。帰国しても一切語るなと、全将兵に対し箝口令が敷かれたと云う。
さて、この真珠湾攻撃を思い出す時、ひっかかるのが騙まし討ちと云う批判だ。卑怯で姑息な不意打ちだったかと思えば、気が萎える。いやいや、そんな風に考えちゃいけないのだ。あんなものは、ルーズベルトの撒き散らしたプロパガンダ だ。
そもそも戦争に宣戦布告もへったくれもない。へんなタイミングで通知すれば、相手から攻撃を受けるのが関の山だ。戦国時代じゃあるまいし、我こそはと名乗るべきと考えるほうが異常だ。戦争は喧嘩だ。いきなり殴る。それでいいのだ。現実に殆どの戦争が宣戦布告などせず、済し崩しに始まっている。
当のアメリカ だってベトナム戦争 もイラク戦争 も、宣戦布告はしていない。でも堂々としたものだ。敵が暴発する危険を察知して、「先制攻撃」をしたまでだと正当性を主張する。ちなみに先制攻撃は英語で、preemptive strikeと云う。ブッシュ 大統領がこの言葉を使うとき、何が悪いと胸を張っていた。
真珠湾攻撃は、連合 国を除く国際社会が日本の勇気を賞賛してくれた快挙だ。騙まし討ちなんて言葉に、われわれ日本人がうなだれたら、世界の友人たちを失望させるばかりだ。批判があれば、アレは、preemptive strikeだったと云ってやろう。
元はと云えば、わが国への石油供給を絶ち、在米資産を凍結し、支那大陸で蒋介石の国民軍を軍事支援したアメリカ が悪い。これ以上放ったらかしにしたら、何をされるか分からない。危険を察知して「先制攻撃」に踏み切ったまでだ。