夕刻の備忘録 様のブログより。
しかも、その多くが自覚がない。
世の中のことを何も知らない癖に、何もかも知っているかのように振る舞う。マスコミがどのように見られているかも知らない癖に、幻想の中で自分達の立ち位置を誇らしげに語り出す。これみな全て、深刻な精神の病である。
知らないことを知っていると言い、知らねばならぬことに目を瞑り、そして、他の誰よりも自分を上位に置いて、辺りを睥睨しようと必死である。これが病気でなくて何だろう。
産経抄12月3日「最低限の信義を守ってこそペンの力」
1日から2年後の3月に卒業する大学生の就職活動が解禁された。4年生の夏が近づいてから「就職どうする?」とぼちぼち会社訪問を始めた「昭和世代」と違い、今は長引く不況で有名大学を出てもすんなりと就職は決まらないそうだ。
▼近ごろは、就活には何の役にも立たない小欄のところにも何人か「記者になりたい」と訪ねてくる。そのとき判で押したように聞かれるのが「記者になるためには何が必要ですか」という質問だ。
▼正解はいくつもあるだろうが、「信義を守る気概だ」と格好良く答えるようにしている。記者は、頼まれもしないのに他人の悪口を書き、他人にみせたくない暗部を世間に暴くのを生業としているからこそ、人間としての最低限の信義は守らねばならない。当たり前の話だが、実はかなり難しい。
▼前沖縄防衛局長が、記者との酒席での発言がもとでクビになった一件がいい例だ。前局長は、小社を除く約10社の記者を居酒屋に集めて、発言を直接引用しないことを前提とした「完全オフレコ」懇談であると念を押し、宴会を始めたという。
▼酒もすすんだ前局長は、米軍普天間飛行場問題にからめて「(女性を)犯す前に犯しますよと言うか」と暴言を吐いたとされる。懇談会に記者が出席した琉球新報は、翌日の朝刊1面トップでとりあげ、彼は即クビになったが、同じ新聞人として恥ずかしい限りだ。
▼暴言を聞いた琉球新報の記者は、なぜその場で「沖縄をばかにするのか」と一喝しなかったのか。記事にするなら「看過できない発言なのでオフレコ扱いできない」と宣言し、酒杯を伏せて立ち去るのがプロの記者だ。最低限の信義を守ってこそペンの力は光るはずである。(2011.12.3 03:50)
冒頭からパワー全開である。この不況下に、自社の看板欄で『すんなりと就職は決まらないそうだ』と、まさに他人事の先制パンチは強烈過ぎる。こんな人間に相談する学生は、その段階で相当程度、「人を見る目がない」ことを自覚した方がいい。
この記者が何歳なのか知らないが、「昭和世代」とは一体誰のことだ。戦前・戦中・戦後まで、六十四年の全てが昭和である。これ以降もまさに「紋切り型」の病的記述の連発である。
「信義を守る気概」とやらを忠告するそうだが、そんなことが『実はかなり難しい』人間が記事を書いていることに今さらながら驚かされる。『頼まれもしないのに他人の悪口を』書いているそうだが、「あれは悪口だったのか」。まさに呆れるばかりの「自己紹介」である。
そして、末尾は朝日新聞さながらの自画自賛である。『ペンの力は光るはず』などと、この時代によくもまあ、ここまで恥ずかしいことが書けるものである。『酒杯を伏せて立ち去るのがプロの記者だ』そうであるが、その前段で『オフレコ扱いできない』と宣言さえすれば、それで筋が通るような書きぶりではないか。それがプロの記者なのか。
話の中身がどうであれ、事前の約束を破ってそれを記事にするような「人間のクズ」が、そのことを認めるような「人間のクズ」が、何を偉そうに言っているのか。信義を守るなど容易いことである。日々真面目に暮らしているほとんどの社会人がしていることだ。「約束は守る」「守れない約束はしない」、ただそれだけの話ではないか。こんな単純なことがマスコミと民主党議員には出来ないのである。
一旦した約束を自分の理由で勝手に破って、それを如何にも相手側に責任があるように言い繕い、特ダネにするその腐った根性に普通の国民は辟易しているのだ。それを手柄のように言う記者や新聞社は当然であるが、そのことによって、新たな取材が困難になることを恐れる余り、同業者批判に転じるこの種の輩も同罪である。いや、それ以上に悪質である。
幾ら景気が悪くても、明日の金に困っても、学生はマスコミにまで身を落とす必要は無い。世の中には幾らでも仕事はある。取り返しのつかない過ちは犯すな。人生の裏街道を歩くようなことは止めろ。クズと呼ばれ、ゴミと呼ばれ、家族にすら白眼視されるような職業について、それで幾ばくかの収入を得たからといって、失うものが大きすぎることを知れ。何しろ『頼まれもしないのに他人の悪口を書き、他人にみせたくない暗部を世間に暴くのを生業としている』のである。子供が出来ても、自分の仕事を胸を張って言えないだろう。
こうした記事を、丁寧に冷静に読めば、彼等が何を考え、何を軸に暮らしているかがよく分かる。全ては自分達の勝手で動くと思っているのだ。オフレコであれ何であれ、自分達が気に入らないと思った人間に対しては、人の道を外すことを何とも思わず、何もかも好き放題に出来ると信じているのだ。その証拠が今回の琉球新報の事件であり、その後の同業他者のアリバイ作りのような批判記事である。どちらも根は同じである。
自分達のメシの種にしたいから、オフレコを無視して、他人の人生を犠牲にして記事を書いた。自分達のメシの種を失いたくないから、御大層な「オフレコ問題」を記事にして、情報源となる政治家や官僚連中に媚びを売った。何れもまさに外道である。
天下御免で堂々と約束を破る人間を上司にしたら、どのようなことが自分に降りかかってくるか、学生にも分かるだろう。高が「信義を守る」ことが難しい程度の人間に、大切な人生を穢されることだけは避けよ。「自分達の力で変えていく」という幻想に酔うな。マスコミは病人の世界である。まともな人間が入る世界ではないのだ。
就職活動の成功を祈る!