反格差社会を望めば、民主党の思う壷だ! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






yohkan様のブログ・愛国画報FromLA より。





昔は格差社会なんて言葉はなかった。しかし、明らかに格差はあった。金持ちもいれば貧乏人もいた。お大尽もいれば乞食をいた。世の中はそう云うものだと誰もが思っていた。


高度成長期を迎える以前は、東京のど真ん中だって、空き地の土管に住んだり、橋の下に住んでる浮浪者なんてザラにいた。町外れの原っぱに行けば、着の身着のままで真っ黒けに薄汚れた家族が、七輪で煮炊きする姿も見られた。


一方で金持ちはどこまでも塀が続く大きなお屋敷に住んでいた。たいてい庭から立派な松の木が路地にはみ出していた。世間で国産車と云えばオート三輪だった頃でも、光り輝くルノーやビュイックに乗っていた。豪勢なものだった。


その後、貧乏人は生活保護などの社会福祉制度で生活が楽になり、金持ちは異常な税制で、相続のたびに資産が激減し貧しくなった。乞食も大きな屋敷も同時に消滅した。外面的な貧富の差がなくなった。格差は縮小したのだ。にもかかわらず、日本は格差社会だと指摘する声がある。真っ赤な嘘っぱちだ。


格差とは、ソ連崩壊 と共に社会主義運動が行き詰った為、苦し紛れに左翼が宣伝し出した新しい言葉だ。小泉首相の構造改革を潰そうと画策する朝日新聞あたりが、格差拡大だと狂ったように喚きたてた。あなたは貧しいです。搾取されています。さあ戦いましょう、と誘う左巻きのスローガンだ。


先進国だろうと後進国だろうと、他国と比較するなら、日本社会の抱える貧富の差は誤差レベルでしかない。格差社会なる幻想を本気で真実で信じている人たちがいるとすれば哀れだ。ちょっと昔を思い出してみれば、嘘だと気付くだろうに。


さて、アメリカでOccupy Wall Streetデモが続いている。これを反格差デモと呼ぶのは間違いではないが不正確だ。政府の金融機関救済に反対したり、雇用促進や失業保険の拡充を訴えたり、デモ隊は支離滅裂にいろいろな思い付きを口にする。多様な叫び声の中に、一握りの金持ちがアメリカの富を独占しているじゃないか、と云う主張があるに過ぎない。


Occupyデモの中心はホームレスだから、見ようによっては乞食の行進だ。左翼団体がデモ加者に時間当たり10ドル、デモの要所を固めるプロ市民には100ドルの日当を払うと聞く。社会正義もへったくれもない。一般市民から、あいつら臭いと毛嫌いされるのは悲しいが、ワリのいいバイトなのだ。


もちろんデモには、ホームレスだけでなく学生たちもいる。今も昔も、反体制運動であれば、反抗期の若者たちはあっさり賛同するのだ。あるいは時間10ドルが目当てかも知れない。可哀想なのは世間知らずの女学生だ。ニューヨークではOccupyデモに加わったばかりに、ホームレスの群れに強姦された被害者がいる。





草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員奮励努力セヨ。 





日本で格差、格差と喚く連中は、このOccupyデモを取り上げて、アメリカの格差は如何に深刻かと眉間に皺を寄せる。格差はいけない、日本社会がああなってはいけない、と警告 する。なぜだ。なぜ、格差があっちゃいけないのだ。努力する人と怠ける人、運のいい人と悪い人、頭のいい人と悪い人がいれば、格差が出来て当たり前ではないか。


わが国には、格差、即ち貧富の差をさも悪いことのように信じる人々が多いから、社会主義国みたいな制度が蔓延る。そんな国だからこそ、民主党みたいな左巻き連中が政権につく。この誤った考え方を変えないと、真面目に努力する人が報われる公正な社会や、チャンスを掴み勝ち抜いた人が賞賛される明るい社会は実現しない。何度でも挑戦できる自由な社会は成り立たない。


そして、いつまでも民主党 政権が続くだろう。まさに悲劇だ。