変わらぬ日本の価値、考える日。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【from Editor】




 きょう23日は、皇室の宮中祭祀(さいし)で最も重要な「新嘗祭(にいなめさい)」の日だ。天皇陛下が療養のため拝礼を取りやめられるというニュースが伝えられ、改めて意識した方も多いのではないだろうか。

 新嘗祭は、皇居内の神嘉殿(しんかでん)という社で、陛下が収穫に感謝し新穀を皇祖はじめ神々に供え、自らも口にされる。漆黒の闇の中で行われ、取材はおろか、参列者でさえ様子をうかがい知ることができない厳かな儀式だ。前後の宮内庁の雰囲気を取材した経験からいうと、陛下のご欠席はさぞや大きな決断だったと拝察する。

 両陛下は、東日本大震災後の精力的なご活動はもとより、地方訪問のたびに体が不自由なお年寄りの施設に立ち寄ったり、各地の地震や豪雨などで苦しむ人たちを励まされてきた。こうした場面で、陛下に声をかけられたお年寄りが返事もできず、目を閉じてひたすら手を合わせ続ける姿を幾度も目にした。お年寄りだけではない。髪を染めて斜めに見ていた中学生が、皇后さまに手を振られて、あわてて背筋を伸ばして敬礼することもあった。

 この皇室が持つ“力”は一体何なのか。そばで取材をしながら、そのことをずっと考えてきた。

 陛下の公務は、こうした慰問のほか、閣僚の認証式や外国の賓客をもてなす宮中晩餐(ばんさん)会など、華やかな場面が伝えられる。しかし、それだけで、今のような国民の「敬愛の念」は生まれるとは考えにくい。それはきょうの新嘗祭のように「陛下が国民から見えないところで、古来の伝統を守られている」という安心感のようなものから生まれているような気がしてならない。

 陛下の公務軽減については、宮内庁が十年来の課題として取り組んでいる。式典への出席などの見直しは大いに進めてほしいと思う。しかし、皇室の将来を見渡したとき、こうした私たちの目に触れない宮中祭祀こそ、安易に簡略化すべきではないと考える。

 経済や国際社会での地位低迷、家族や地域、教育などが崩壊し自信を失っている日本で「古来の伝統が守られている」と思えることが、国民の最後の心のよりどころだと思うからだ。

 聞くところによると、陛下は宮中祭祀の伝統を守ることに強い意欲を持たれているという。せめて、陛下が休まれる今年の新嘗祭は、私たち国民が「日本の伝統、変わらぬ価値」について考える日にしてもよいのではないだろうか。


                              (副編集長 豊川雄之)