「十五日 江戸で争う 肩車」。七五三の日を詠んだ江戸時代の川柳だ。当時の江戸っ子には、自分の子供を肩車に乗せ自慢し合う親が多かったらしい。特に旧暦11月15日には争うように神社への道を急いだ。読む者のほおが緩んでくるような秀句である。
▼今は早めに祝うことが多いが、15日が七五三となった所以(ゆえん)は徳川3代将軍、家光の時代にさかのぼる。家光が41歳でもうけた徳松(後の将軍綱吉)が病弱なため、5歳になった年の11月15日、成長を祈ってお祝いをした。すると不思議なほど丈夫な子供に育った。
▼これがきっかけで武家や庶民の家でも、この日に七五三を祝うようになったといわれる。だが、それだけではない。日本には古くから3歳、5歳、7歳の年に、子供たちの成長を祈るさまざまな習慣があった。それが将軍家のお祝いと結びついていったものらしい。
▼医療技術も今のように発達しておらず、飢饉(ききん)で食料も十分でないときもあった。子供が一人前に成人するのは大変だった時代に「神からの授かりもの」として、必死に育てようとした。そんな日本の「子育ての歴史」が秘められているのが七五三なのだ。
▼だが横田めぐみさんの両親、滋さんと早紀江さんにとってはこの七五三が悲しい日となった。昭和52年のこの日、手塩にかけて13歳まで育てためぐみさんが新潟の海岸から北朝鮮に拉致されたのだ。日本の美しい行事をあざ笑うかのような蛮行だった。
▼そのめぐみさんに関する新たな情報が韓国の週刊誌に報じられた。2005年の平壌市民名簿に、それらしい記載があるのだという。横田さんたちにとっても、七五三を心から祝える日が早くくるよう、願わざるをえない。