夕刻の備忘録 様のブログより。
何度も繰り返し主張してきたことであるが、先の衆議院選挙直前の八月、麻生首相の靖國参拝問題を都合四度に渡って執拗に採り上げ、徹底的に批判することで、「民主党政権の誕生に大きな助力をした」のは産経新聞である。
リーマンショックへの対応に全力を尽くしながら、他の問題に関しても特別の失政も無く、黙々と仕事を続けていた内閣に、直接の政治課題ならざるもので因縁を付けて、印象操作に励んでいた。その影響力を大と見るか、小と見るかで見解は分かれるだろうが、少なくとも産経新聞の現政治部に、民主党政権を批判する資格は無い。
★ ★ ★ ★ ★
さて、只今現在の国民最大の関心事に対して、その最も重要な問題点を「華麗にスルーする」ことは何を意味するのか。「その影響力を大と見るか、小と見るかで見解は分かれる」だろうが、今日もまた櫻井氏の空論は、実に軽やかに風に舞っている。
【櫻井よしこ 野田首相に申す】
日本の方向性を語れ(2011.11.10)
激しい論争が続く環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉への参加問題に、今日、野田佳彦首相が決断を下すとのことだ。
首相は鳩山、菅両政権の轍を踏まないために、慎重の上に慎重を期し、マスコミの取材にもほとんど応じてこなかった。加えて2度の所信表明演説ではいずれの課題にも深入りせず、隔靴掻痒だった。
批判を恐れるゆえの安全運転は、安全を通り越して、言語明瞭意図不明瞭の首相像を作り上げつつある。結果、今日まで、首相がTPP参加に込めているであろう戦略や思いは伝わってきていない。
言いたいことも言わずに、内外の反対意見の鎮まりを待って、時至れば豹変する。それが最後の場面での決断だという見方もある。確かに物言わぬことによって首相は期待値を高めてきた。しかし、TPP、普天間飛行場の移転、復興財源の手当など、緊急課題が山積する一方で、日本周辺の国際情勢は地殻変動を起こしているのだ。
<全体の過半を占める竹島問題の部分につき中略>
この種の首相の力量への疑問が普天間飛行場移設問題、TPP交渉への参加問題の議論に影を落としているのは確かだろう。
普天間飛行場移設問題は直接日米同盟を揺るがす問題だ。TPPは多国間の課題だが、米国への忌避感と絡めて議論されている。
だが、私たちはトモダチ作戦で日米同盟の意義を実感した。中国の台頭と脅威の前に、同盟の強化が欠かせないことも再認識した。
だからこそ、首相は寡黙を脱し、国民に日本の大きな戦略について語らなければならない。普天間移設問題は単に一飛行場の問題ではなく、米軍再編と日米同盟強化の大きな枠の中の問題であること、同時に、それは沖縄の負担の大幅な軽減につながることを、具体的に説くのだ。
TPPも同様だ。交渉参加は「米国の言いなりになる」ことと同義ではなく、また、そのようなことはしないと、安全運転の殻を打ち破って説き続けるのだ。21世紀のいま、アジア太平洋の秩序と繁栄の舞台作りに参加することによって、日本の未来展望を開いていくと、交渉参加の意義を雄弁に語ってみよ。
領土問題を蔑ろにしていいはずがなく、それを採り上げるに時期など問題ではない。しかしながら、敢えて今採り上げ、しかも文中で何度もTPPなる文言を加えてまで構成している点は注目に値する。結論は簡単である。この主張の核はまさに最後の最後
『TPPに参加せよ。交渉参加の意義を語れ』
にある。竹島問題、領土問題をダシにした構成である。実に見事に「産経の意志」を体現したものになっている。
領土問題より、さらに一段上の問題がある。それは国家主権の問題である。主権あってこその領土である。如何なる形態であろうと主権が侵されれば、領土も領海も護れるはずもなく、そもそも国家たり得ない。TPP問題の核は、その主権に関わるところにある。従って、この最重要ポイントを外して「領土問題で字数を稼いでいる」ようでは、全く話にならない。ここで断言しておく。
交渉参加は「米国の言いなりになる」ことと同義である。
何故なら、今は民主党政権であるから。政府ごっこに忙しい「元野党」の連中は、かつての自民党政治を羨ましく眺めていた。利権が手に入って、威張って、儲けて、楽しい仕事だと夢想していた。適当にアメリカと遣り取りしていれば、外交なんてものは勝手に進むものだと信じていた。優雅に進む白鳥が、水面下でどれほど脚を動かしているかを知らない子供の発想である。
この二年で彼等が得た結論は、「米国の言いなりになる」ことが自身の延命に繋がるという倒錯したものであった。戦後の政治史を繙けば、対米追随であると全マスコミから糾弾された吉田茂が、如何にアメリカと水面下で戦っていたかがよく分かる。それをマスコミは「米国の言いなり」と叩きに叩いた。彼等もまた白鳥の苦悩を知らないのである。
そして今、「本物の言いなり政権」が誕生したのである。彼等に水面下の交渉は無い。「歴史的評価」を云々して、その場を逃げるのが歴代の民主党内閣の特徴であるが、その手は全く通じない。その証拠が一昨日の国会審議である。後世に「あの時、実は水面下で彼等も色々と手を尽くしていたのだ」という逆転劇が絶対にないことが判明した。
その理由は、首相以下、関係閣僚がISD条項を知らなかったところにある。TPPが国内法の上位に位置することすら知らなかったところにある。知らずに出来る裏交渉などあるはずもない。暫く経つと野田もまたこう呟くのだろう。「学べば学ぶほど主権の大切さが分かった」と。そして、「国民が我々の声を聞かなくなってしまった」と。
靖國問題で歴代の自民党政権を叩き、民主党政権に対してはこの問題を論じない。「どうせ言っても無駄だから」というスタンスでお茶を濁すだけである。靖國問題然り、TPP問題然り、実に櫻井氏は産経新聞がよく似合う。国家主権の危機に瀕している今、それを論じず、それを犯す者達を野放しにし、ましてやそれに助力加担している保守言論とは一体何なのか。このまま風に舞い消え去っても、もはや惜しいとは思わない。いや「風と共に去ってくれ」と御願いしたい程である。