夕刻の備忘録 様のブログより。
日本について考える。
世界の中の日本について考える。
客観的に、即ち自分自身が日本人であることを一旦忘れて、冷静に考えれば、「世界は日本に感謝すべきである」ことが実によく分かる。これもまた、独善でも無ければ思い上がりでもない。世界には二百近い国家がある。その中で、人類全体の規模で考えて、その一員として感謝すべき国が歴然としてある。その中の一つが日本であると言っているだけの話である。
日本は長い伝統と歴史を誇り、孤立しているようにも見えながら、その時々で周辺国との関わりを持ち、それを活かし、それを糧としてゆっくりと静かに、そして確実に変貌してきた自然国家の代表である。もし、日本が現在見られるような、「御調子者の外国かぶれ」ばかりが幅を利かす社会であったなら、とうの昔に滅びていただろう。少なくとも「日本という国名が相応しい」、過去との連続性を保った国家を存続させることは出来なかったであろう。
「ガラパゴス」だなんだと揶揄する者は、国の内外に多くいる。しかし、日本国民は緩やかな変化は許しても、国柄を変えるような極端なものは、見事に排除してきたのである。それが故に、今なお日本は世界の中で独特の地位を占めている。
このことに世界は感謝すべきである。
日本そのものを世界遺産として称賛すべきである。
要らぬちょっかいを出す国は、過去にも現在にも多く存在するが、それに耐え、それと戦い、日本を護ってきた過去の全ての日本人に感謝すべきである。二千年を超える日本史の連続性が、世界史の連続性の物差しとなっている、これは歴々たる事実である。
★ ★ ★ ★ ★
「国際化」ということを五月蠅くいう人間が多い。同様に「多様化」という言葉も流行語のようである。この二つの言葉を、同じ人間が同じ文脈で使っているのには、誠に呆れるしかない。
国際化と多様化は、正反対の意味を持つことを知らないのであろう。あるいは、世界中の国々から留学生や移民でも来れば、「日本も多様化し国際化する」と信じているのだろう。学校や会社で、多数の言語が飛び交い、様々な肌の色の人間が交わり合えば、それが人類の進化形だとでも思っているのだろう。
冗談ではない。
仮に国際化が、それを主張する人間の言うように、ある種の混じり合いを言うのであれば、多様化はこれを拒否することから生まれ、拒否した歴史そのものが多様性を護ってきたのである。
何故、白人が居て、黒人が居て、黄色人種が居るのか、それはそれぞれの必然性があって生まれ、そして今なお存在している。必要があって存在している人類の多様性の一つである。何もかも混ぜ合わせた「混合色一色」になることが、人類の進歩を意味するわけではない。それぞれの地域や風土に合わせて、人類は独自の発展を遂げた。全体として同じではあるが、その適応能力や感覚に微妙な違いがある。それこそが人類の強みである。
「鎌状赤血球症」について調べてみれば分かる話である。この遺伝子を持った人間は、日本にはほとんど見られないが、アフリカには多く存在する。アフリカ地域に住む人々が、淘汰の末に獲得した自然の「マラリア対策」である。
何か特殊な伝染病が、世界中で同時発生したと仮定しよう。その時、ある地域の特定の人々だけが生き残る可能性がある。その可能性を残すのが「多様性」である。この意味で我々は、マラリアに対抗し得る体質を獲得した人々に感謝しなければならない。
仮に、あらゆる面で人類が皆同じであったなら、我々は一挙にやられてしまい、同時に消滅する。「人の流通」の意味程度の国際化は結構な話である。しかし、これを拡大解釈して、またそれを多様化と混同して、何でも掻き混ぜればそれでいいといった乱暴極まる発想で話をするのは、滅亡を唆す悪魔の誘いと大差ない。移民、混血、通貨統合、世界政府、これら全ては「平和」と共に語られる悪魔の囁きである。これら全てが多様性に反し、人類全体を脆弱にする。
全人類が死滅してなお、日本人がその独特の食生活と気候風土によって培ってきた体質により、生き残ったとしたなら、人類最後の砦となった日本に、「消えゆく全世界」が感謝すべきであろう。また逆に、日本人が一番最初に感染し、全人類に多大な教訓を残して滅びていくなら、同じく全世界は日本人のために涙すべきであろう。
★ ★ ★ ★ ★
これこそが多様性である。多様性はあらゆる意味での「保険」となる。
同じことが経済活動にも言える。多国間交渉だかなんだか知らぬが、アメリカ主導で全世界をアメリカナイズしてしまえば、滅びる時は同時になる。今現在、大不調のEUを尻目に、我が国が比較的優位を保っているのは何故か。それは交流をしながらも、護るべき一線を護ってきたからこそ、日本の独自性、多様性が護られ、同じ傷を負うにもその深浅において大きな差が出てきたのである。
日米関係は大切である。それは自然国家の代表と、人工国家の代表が、互いに他を認め合い多様性の名の下に協調することが、全世界の利益となるからである。
経済活動の効率や、その場の仕組などより遙かに大切な、人類の安全を保障するものが「多様性」である。それを覆し、同じルールで同じ経済を行うとする全ての試みに反対する。日米関係は、極めて重要であると同時に、全世界に与える影響の大きさから考えて、互いの独自性、多様性を損なうことは、全世界への不利益、全人類に対する責任放棄になる。この点に照らして真摯な議論を戦わせることが、真の日米友好である。これは時の権力者の一存で決めうるような「小さな問題」ではない。
アメリカは人工国家らしく、飛んだり撥ねたり派手にやればよい。我々は自然国家であり、その歴史の端に連なる構成員として、急激な変革はお断りする。歴史の流れの中で、また交わることもあるだろう、その時はその時の状況に応じて、議論をしよう。どちらが健全か、どちらが賢明か、どちらが滅んでも一国だけは残るように、多様性を維持しよう。合衆国の健闘を祈っている。
世界の中の日本について考える。
客観的に、即ち自分自身が日本人であることを一旦忘れて、冷静に考えれば、「世界は日本に感謝すべきである」ことが実によく分かる。これもまた、独善でも無ければ思い上がりでもない。世界には二百近い国家がある。その中で、人類全体の規模で考えて、その一員として感謝すべき国が歴然としてある。その中の一つが日本であると言っているだけの話である。
日本は長い伝統と歴史を誇り、孤立しているようにも見えながら、その時々で周辺国との関わりを持ち、それを活かし、それを糧としてゆっくりと静かに、そして確実に変貌してきた自然国家の代表である。もし、日本が現在見られるような、「御調子者の外国かぶれ」ばかりが幅を利かす社会であったなら、とうの昔に滅びていただろう。少なくとも「日本という国名が相応しい」、過去との連続性を保った国家を存続させることは出来なかったであろう。
「ガラパゴス」だなんだと揶揄する者は、国の内外に多くいる。しかし、日本国民は緩やかな変化は許しても、国柄を変えるような極端なものは、見事に排除してきたのである。それが故に、今なお日本は世界の中で独特の地位を占めている。
このことに世界は感謝すべきである。
日本そのものを世界遺産として称賛すべきである。
要らぬちょっかいを出す国は、過去にも現在にも多く存在するが、それに耐え、それと戦い、日本を護ってきた過去の全ての日本人に感謝すべきである。二千年を超える日本史の連続性が、世界史の連続性の物差しとなっている、これは歴々たる事実である。
★ ★ ★ ★ ★
「国際化」ということを五月蠅くいう人間が多い。同様に「多様化」という言葉も流行語のようである。この二つの言葉を、同じ人間が同じ文脈で使っているのには、誠に呆れるしかない。
国際化と多様化は、正反対の意味を持つことを知らないのであろう。あるいは、世界中の国々から留学生や移民でも来れば、「日本も多様化し国際化する」と信じているのだろう。学校や会社で、多数の言語が飛び交い、様々な肌の色の人間が交わり合えば、それが人類の進化形だとでも思っているのだろう。
冗談ではない。
仮に国際化が、それを主張する人間の言うように、ある種の混じり合いを言うのであれば、多様化はこれを拒否することから生まれ、拒否した歴史そのものが多様性を護ってきたのである。
何故、白人が居て、黒人が居て、黄色人種が居るのか、それはそれぞれの必然性があって生まれ、そして今なお存在している。必要があって存在している人類の多様性の一つである。何もかも混ぜ合わせた「混合色一色」になることが、人類の進歩を意味するわけではない。それぞれの地域や風土に合わせて、人類は独自の発展を遂げた。全体として同じではあるが、その適応能力や感覚に微妙な違いがある。それこそが人類の強みである。
「鎌状赤血球症」について調べてみれば分かる話である。この遺伝子を持った人間は、日本にはほとんど見られないが、アフリカには多く存在する。アフリカ地域に住む人々が、淘汰の末に獲得した自然の「マラリア対策」である。
何か特殊な伝染病が、世界中で同時発生したと仮定しよう。その時、ある地域の特定の人々だけが生き残る可能性がある。その可能性を残すのが「多様性」である。この意味で我々は、マラリアに対抗し得る体質を獲得した人々に感謝しなければならない。
仮に、あらゆる面で人類が皆同じであったなら、我々は一挙にやられてしまい、同時に消滅する。「人の流通」の意味程度の国際化は結構な話である。しかし、これを拡大解釈して、またそれを多様化と混同して、何でも掻き混ぜればそれでいいといった乱暴極まる発想で話をするのは、滅亡を唆す悪魔の誘いと大差ない。移民、混血、通貨統合、世界政府、これら全ては「平和」と共に語られる悪魔の囁きである。これら全てが多様性に反し、人類全体を脆弱にする。
全人類が死滅してなお、日本人がその独特の食生活と気候風土によって培ってきた体質により、生き残ったとしたなら、人類最後の砦となった日本に、「消えゆく全世界」が感謝すべきであろう。また逆に、日本人が一番最初に感染し、全人類に多大な教訓を残して滅びていくなら、同じく全世界は日本人のために涙すべきであろう。
★ ★ ★ ★ ★
これこそが多様性である。多様性はあらゆる意味での「保険」となる。
同じことが経済活動にも言える。多国間交渉だかなんだか知らぬが、アメリカ主導で全世界をアメリカナイズしてしまえば、滅びる時は同時になる。今現在、大不調のEUを尻目に、我が国が比較的優位を保っているのは何故か。それは交流をしながらも、護るべき一線を護ってきたからこそ、日本の独自性、多様性が護られ、同じ傷を負うにもその深浅において大きな差が出てきたのである。
日米関係は大切である。それは自然国家の代表と、人工国家の代表が、互いに他を認め合い多様性の名の下に協調することが、全世界の利益となるからである。
経済活動の効率や、その場の仕組などより遙かに大切な、人類の安全を保障するものが「多様性」である。それを覆し、同じルールで同じ経済を行うとする全ての試みに反対する。日米関係は、極めて重要であると同時に、全世界に与える影響の大きさから考えて、互いの独自性、多様性を損なうことは、全世界への不利益、全人類に対する責任放棄になる。この点に照らして真摯な議論を戦わせることが、真の日米友好である。これは時の権力者の一存で決めうるような「小さな問題」ではない。
アメリカは人工国家らしく、飛んだり撥ねたり派手にやればよい。我々は自然国家であり、その歴史の端に連なる構成員として、急激な変革はお断りする。歴史の流れの中で、また交わることもあるだろう、その時はその時の状況に応じて、議論をしよう。どちらが健全か、どちらが賢明か、どちらが滅んでも一国だけは残るように、多様性を維持しよう。合衆国の健闘を祈っている。