【正論】帝京大学教授・志方俊之
明治維新後、「坂の上の雲」を目指して近代国家に生まれ変わって、わずか37年後に日露戦争に勝利(1905年)し、列強の仲間入りした我(わ)が国が今、「坂を転げ落ちる」様相を呈している。
≪坂を転げ落ち始めた?日本≫
70年前(41年)の11月に時計の針を巻き戻してみよう。我が国の陸海軍は、1カ月後に迫った真珠湾攻撃と東南アジア進攻に向けて作戦準備を終え、奇襲を成功させるための企図の秘匿に神経を尖(とが)らせていた。欧州方面ではすでに、ドイツ軍がポーランド、北欧、ベルギー、オランダを席巻してソ連に宣戦し、イタリア軍はエジプトやギリシャへ侵攻していた。
国際社会から孤立して経済包囲網を巡らされた我が国は、日独伊三国軍事同盟を締結した。枢軸を組んだ相手は、ヒトラー率いるナチス・ドイツ、ムソリーニ率いるファシスト体制下のイタリアだった。今でいえば、先般、民間人の大量殺戮(さつりく)で国際刑事裁判所(ICC)に訴追されたボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア民族軍事指導者ムラジッチ氏やつい最近、殺害されたリビアのカダフィ大佐と組んだようなもので、我が国は孤立を深めることとなった。
当時の我が国にはすでに、開戦の方向へと大きい慣性が働いており、それに反対する政治家や軍人もいるにはいたが、戦争突入を止める力にまではならなかった。真珠湾攻撃の何年前から踏み留(とど)まれなくなっていたのだろうか。
例えば、日英同盟廃棄(21年)まで遡(さかのぼ)るとするならば、開戦まで20年、判断を間違えて坂を転げ落ち始めたのは20年前となる。
同様に、今から約20年後の2030年に「何時から日本は坂を転げ始めたか」と振り返ってみたときに、後世の歴史学者は、党内派閥や党利党略で総理大臣がほぼ1年ごとに代わり始めた06年だったと断言できるかもしれない。
日本政治がいつまでも混迷を続ける間に、世界では、BRICSと呼ばれる新興大国諸国の躍進という「パワー・シフト」(力の移動)が起きている。もはや国際的な経済危機にG7(先進7カ国)だけで対処できない時代だ。
≪同時進行する3つのシフト≫
チュニジアに端を発した民主化のうねり、「アラブの春」はエジプト、リビアに伝播(でんぱ)し、イエメンやシリアに至る可能性もある。歓迎すべき「パラダイム・シフト」(枠組みの変化)だが、それに伴う不安定化の危険も孕(はら)む。
コンピューターやロボットの技術の急速な発達は、サイバー戦争やロボット戦争など、戦いの様相を一変させかねない「テクノ・シフト」をもたらしつつある。急激な文明の進歩に、それを管理する文化が追いつけない状況だ。
未曽有のテンポで変化しつつある国際社会を、坂を転げ落ち始めた我が国が生き抜くために必要な処方箋は何か。単なる路線の修正や改善ではない、明治維新のような大改革、すなわち「平成維新」を断行しなければならない。
液状化した地盤に乗った瓦礫の上に新しい建物は建たない。第一に行うべきは、我が国が連合軍の軍事占領下で受け入れた1946年製の日本国憲法の中で改正すべき点を洗い出すことである。
この10月21日、衆参両院の憲法審査会が4年間の空白の後、初会合を開き、会長(衆院・大畠章宏氏、参院・小坂憲次氏)を選出し始動した。各政党はそれぞれの改正草案を国民の前に披露すべきである。自民党はすでにある草案を推敲(すいこう)し、民主党はその前に、党の綱領を国民の前に示す責任があるだろう。改正の必要なしとする政党は現行憲法が完全無欠であると国民に説明する義務を負う。
≪緊急事態条項も喫緊の課題≫
改正点で最も重要なのは、自衛隊をしっかり位置付けることだ。日本国民は今回の東日本大震災での活躍ぶりを目にして、自衛隊が国家に想定外の事態が起きた際の「最後の砦(とりで)」になることを実感したに違いない。陸海空三自衛隊は装備の質、隊員の素質、組織の点で世界でも有数な軍事力だ。
自衛隊は憲法制定時(46年)には存在しなかったのだから、現行憲法に自衛隊や自衛権という直接的な文言がないことは頷(うなず)ける。ただ、連合軍の軍事占領が終わったとき、我が国を守るのは誰かを憲法で規定しなければならなかったのに、政治は今日まで先送りしてきた。怠慢というほかない。自民党も、改憲を党綱領でうたい、長期政権を維持してきたにもかかわらず、2007年まで、「憲法改正手続きに関する法律(国民投票法)」すら制定しなかった。
我が国は法治国家である。「シビリアン・コントロール」は最も重要なことだが、それはまず自衛隊を憲法の中に位置づけることによって行うべきだ。憲法の中に国家緊急事態条項を設けることも今は喫緊の課題の一つである。
「平成維新」では、「費用対効果」や「経済効率」を優先してきた、戦後の国家運営のありようから解脱しなければならない。自衛隊を軍として明確に定義する憲法改正を、その「維新」の大事業の一つとしなければならない。
(しかた としゆき)