中国で漢語の逆輸入いまも。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【土・日曜日に書く】上海支局長・河崎真澄




中国で数千年続いた封建制度を倒し、アジア初の共和国「中華民国」を成立させるきっかけとなった1911年の「辛亥革命」から今年で100年が経過した。

 その中心人物だった孫文(1866~1925年)。清朝への武装蜂起と敗退を繰り返していた当時の動きを、日本の新聞が「孫文の支那革命」と書いた記事が目に留まって「これだ!」と叫び、「今後はわれらの行動を『革命』と称することにする」と決意したとのエピソードが残されている。

 孫文らは1890年代に始まった清朝打倒の行動を「造反」などと表現しており、革命との意識は薄かったようだ。造反は体制への謀反であり、ややマイナスの反逆や反乱という印象があった。

 幕末以後、福沢諭吉(1835~1901年)や中江兆民(1847~1901年)らが、当時の日本にはなかった西洋の概念や思想などを伝えようと、哲学や民族、法律、科学といった「和製漢語」を生み出していた。「革命」もそのひとつで、「Revolution」の訳語として使われた。

 孫文は和製漢語を介し、18世紀末に封建的な絶対王政だったブルボン王朝が打倒されて共和制が誕生した「フランス革命」をイメージしたのではないだろうか。

 漢字は日本語にとっても欠かせぬ大陸伝来の表意文字だ。だが辛亥革命に前後して世界に目を向け始めた中国が、教え子だった日本から“逆輸入”することに。


共産主義は和製の漢語


 明治維新でいち早く近代化の道を歩み始めた日本への留学が19世紀末から中国でブームとなり、年間2万人近くの中国の若者が押し寄せた。作家となった魯迅(1881~1936年)もその一人。留学生の中には、孫文に共鳴したものもいれば、マルクス・レーニン主義に心酔したものもいた。

 彼らに共通していたのは、日本語や日本の知識人が翻訳した和製漢語を通じ、世界の思想や概念に目を開く機会を得たことだ。

 関西大学外国語学部の沈国威教授の近著である「近代中日語彙交流研究」(中華書局)などによると、20世紀初頭に中国が逆輸入した和製漢語には、文化、民族、法律、理性、政治、経済、民主主義や共産主義など封建社会になじみのない概念や、物理、質量、空間など科学分野の訳語も多い。

 人民、共和国もそうで、1949年成立の「中華人民共和国」との7文字の国名は、実に5文字までが和製漢語でできている。


当て字「浪漫」も定着


 辛亥革命(辛亥は1911年の干支(えと)にちなむ)を支えた知識人たちや、21年7月に創立された中国共産党の初期メンバーの多くも実は日本留学組。漢字を頼りに、近代中国を形作ることになる数多くの思想を持ち帰っていった。

沈教授によれば、1889年公布の「大日本帝国憲法」も当時すぐに中国語に訳され、その後、中国語にもなった「憲法」など法律用語や概念の基礎となった。

 中国近代化の過程で、日本と日本語、そして和製漢語が果たした役割は、小さくなさそうだ。

 一方、難解な観念や訳語だけではなく、夏目漱石(1867~1916年)がフランス語の「Roman(ロマン)」の当て字として小説に使った「浪漫」もそのまま取り入れられ、これも現代中国語の中で実際に使われている。

 ただ、今となっては中国人の大半が和製漢語もオリジナルな中国語だと信じて疑わない。まさか100年も前に日本から逆輸入したとは思いもよらないらしい。


クールな外来語が人気


 和製漢語とは別に、昨今の中国では、やはり若者を中心に「クールな外来語」と位置づけられた日本語ブームも広がっている。

 日本発祥の「●拉OK(カラオケ)」や「宅急便」などが知られるが、テレビ番組の影響で、「人気」「達人」「新登場」や、「~族」「超~」といった用法も使われる。最新ファッションや流行曲など「超人気」といえば、中国の若者の間にも違和感がない。

また、「過労死」など日本の社会問題や、「痩身(そうしん)」「美白」など所得水準向上に伴う女性の関心の高まりを示す日本語も市民権を得始めた。ややマニアックな言葉だが「宅男、宅女(オタク)」や、「干物女(若いのに瑞々(みずみず)しさを失った女性)」なども使われている。

 世紀をまたいで和製漢語や日本語の逆輸入が続くことについて沈教授は、「語彙不足だった20世紀初頭の当時の中国人にとって、新たな知識を吸収するため必要に迫られていた背景があったが、現代はむしろ文化的に優位な立場にある日本を認めて、日本を慕って使う面がある」と考えている。

 孫文が閃(ひらめ)いたように、現代の若者も似て非なる日本語に敏感なようだ。


(かわさき ますみ)

●=上の下にト