【正論】中国現代史研究家・鳥居民
この10年の間に東アジアで起きた出来事の中で、多くの人が誤解し、間違えて解釈してきた大事がある。ここで取り上げたい。
今から5年前、2006年10月に北朝鮮は核実験を行った。だれもが抱いた疑問は、どうして中国は北朝鮮が核武装するのに反対しなかったのかということだ。
その問いに対する説明は次のようなものだ。中国政府が北朝鮮政府に向かって核開発を止めよと強要したら、北の政府は崩壊し、大量の難民が中国の東北地方に流入する。中国政府はそれを恐れ、北の核開発をずるずる認めてしまったのだ。
≪キッシンジャー氏の甘い見方≫
さて、新しい解釈をみせてくれたのが、ヘンリー・キッシンジャー氏だ。彼が最近、刊行した「中国について」の中で説いた。中国が北朝鮮に核開発を止めよと迫れば、金体制は崩壊すると述べるまでは同じだが、その後が違う。
韓国軍とアメリカ軍が北朝鮮に侵入し、アメリカ軍が鴨緑江までに迫る。1950年の12月に同じ状況になったとき、中国軍は介入した。また同じことをしなければならなくなると警戒した中国政府は、北朝鮮の核開発に目をつぶることになったというのだ。
今年の6月のことになるが、米誌タイムの記者がキッシンジャー氏に向かって、あなたの中国に対するバラ色の見方は、あなたの会社が中国政府のための仕事をしているからか、と問うた。キッシンジャー氏は色をなして怒りはしたが、鴨緑江に迫るアメリカ軍といったお伽話(とぎばなし)は中国政府へのお世辞以上のものではない。中国は北朝鮮と友好協力相互援助条約を結んでいる。今年7月が締結して50年に当たり、両国政府は記念行事を行った。武力介入の軍事条項があるのだから、北朝鮮に混乱が起きた場合、中国が核関連施設を保全するとの声明を出して軍事介入することは間違いない。
東北にあふれる難民といった理由付けはどうなのかといえば、実はこれは中国側が作った話だ。そもそも核開発を止めよと金正日氏に迫って金体制が崩壊するのか。国民の民生向上のために努力しろと圧力をかけられ、経済制裁するぞと凄(すご)まれたら、金氏は自分の政権維持のためにその要求に従い、国民からは全幅の支持を得たであろう。政権瓦解(がかい)など起こるはずはなかった。
読者に思い出してもらうため、いささかの説明をしよう。北朝鮮の核開発を阻止するために、アメリカ、中国、韓国、ロシア、日本が参加する6カ国協議が開かれたのは2003年8月、翌04年に2回、05年に5回、そしてその年に北朝鮮は核の放棄を宣言するのだが、最初に述べた通り、そのまた翌06年10月には北朝鮮が核実験を行ってしまい、6カ国協議は失敗に終わった。
≪体制崩壊-難民流出は作り話≫
6カ国協議のアメリカ側の代表はヒル国務次官補だった。国務副長官であったリチャード・アーミテージ氏、続くロバート・ゼーリック氏がアメリカ側の最高責任者だった。
アーミテージ、ゼーリックの両氏は中国が必ずや北朝鮮を抑えてくれると信じ、中国政府に言われるまま、アメリカ政府は台湾の野党、中国国民党の馬英九氏を支援し、総統だった陳水扁氏を邪険に扱った。アメリカの後押しがあると台湾人は思ったからこそ、馬氏を総統に選ぶことにもなった。
ところが、アーミテージ氏は04年末に辞任し、後任のゼーリック氏も06年5月、北朝鮮が核実験を行う少し前に辞めた。なぜだったのか。2人とも今日まで何ひとつ語っていない。ゼーリック氏は国務副長官であったときに、口惜しげな口調で、中国は北に核武装を断念させる力を持っているのだ、と何回か言った。中国政府に裏切られたと知って退いたという面がアーミテージ氏に、そしてゼーリック氏になかっただろうか。
先月のことになるが、アメリカが台湾へ武器売却を決めたことに対して、中国政府は最大級の非難をアメリカに浴びせてみせた。だが、本当なら6年前、中国政府はゼーリック氏に向かって、北朝鮮の核開発を止めさせる、アメリカは台湾への武器供与を止めてくれと要求できたのである。
≪北の事実上の属国化が好都合≫
中国政府は別の道を選んだ。北朝鮮政府の核開発を黙認することにした。なぜだったのか。北朝鮮を国際的に孤立の状態にしておけば、北朝鮮は中国に頼らざるを得ず、中国は北朝鮮の実質的な宗主国になると読んでのことではなかったのか。それとも、100社以上の子会社を持つ中国の国有企業、核工業建設集団が北朝鮮の核開発に関与してきたからか。
北朝鮮が小粒な韓国を目指すことになったのでは、われわれの利益にならないと思ったのは、中国の軍部であったはずだ。軍事費が毎年2桁増し、5年で倍増するという最高に望ましい状況を続けていくには、朝鮮半島と台湾海峡の緊張を醸成し続けることだと、05年、06年に考えたのであろう。5年後の現在はどうであろう。
(とりい たみ)