隊員の献身的努力だけに支えられてきた19年間。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





南スーダンPKOへ部隊派遣の前にすべきこと。


草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員奮励努力セヨ。 


2011.10.26(水)榊枝 宗男




1 概 要

航空観閲式巡閲中の野田総理(10月16日)

10月16日航空観閲式(百里基地)において観閲官である野田佳彦総理は参列した部隊を前に南スーダンPKO(国連平和維持活動)への参加を表明した。

 PKO派遣については1992年の国連カンボジアPKO(UNTAC)への初めての派遣から、その都度国会の争点として与野党の論戦の的になってきたことは記憶に新しい。

 現在において国民の多くの支持を得ていることから、単に派遣を決定するだけでは武器使用などの極めて重要な課題を失念していると言えよう。まさに画龍点睛を欠くである。

 1996年2月、当時在エジプト日本大使館防衛駐在官であった私は、時の与党3党・自社さの村山富市政権が初めて中東イスラエルとシリアの国境に展開する国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)への我が国参加の可能性を調査する政府与党調査団を派遣した時のことを思い出す。

 外務省からの調査団の随行員としてシリアへ応援出張を命じられ現地調整を幾度か行い、社会党の早川勝調査団長はじめ自民党大野功統議員、中谷元議員、森田健作議員、さきがけからは当選間もない現与党民主党前原誠司議員ら8人の調査団の到着を待った。

 当時UNDOF司令官は我が国の参加に懐疑的なオランダ陸軍コステルス少将である。その理由は、日本の武器使用基準が国連スタンダードであるいわゆるBタイプの武器使用(任務達成のための武器使用)を認めていないことを事前にニューヨーク国連本部から知らされていた。

 すなわち、我が国の武器使用は憲法が禁止している集団的自衛権行使と解釈されていた。調査団一行は、司令官訪問予定時間を大幅に遅れシリア側のキャンプファウアールに所在するUNDOF司令部玄関に到着する。

政府与党調査団一行(ゴラン高原)

 


 生粋の軍人堅気と見られるコステルス司令官が開口一番「日本調査団にバーベキューの昼食を準備していたが、冷めてしまったので捨てた」との冷たい言葉の洗礼を受けた。

 事後司令部内でUNDOF部隊のブリーフィングを受け、最後に司令官の言葉が日本のUNDOF参加へ冷や水をかけるような次の強烈な一言があった。

 武器使用が国連スタンダードでなければ司令官として「UNDOFに制服を着たシビリアン(文官)は必要ない!」。

 この強烈な言葉に、同席した後藤シリア大使の表情が厳しくなった。調査団議員への通訳がコステルス司令官の結言を伝えたところ社会党議員の1人は机を叩き、随員の大使館員に「車を回せ、帰る!」との騒動に、元々派遣には不同意であったためなのか。

 この場にいた自社さ8人の国会議員は国際社会におけるPKO参加・派遣条件のハードルの高さを垣間見たものと思う。

 現与党前原誠司政調会長もその現場に遭遇し、真剣に我が国が国連PKOに参加する場合の大きな問題点として武器使用基準を速やかに国連スタンダードBタイプにしなければ国際社会で和平を構築するという目的にかなわないと痛感したはずである。

 しかし、あれから16年の月日が経つがどうか。16年目を迎えたゴランPKO第31次隊43人が派遣され引き継がれている。

 さらには1992年UNTAC(国連カンボジア暫定機構)派遣から19年が経つが、PKO派遣5原則のままに、武器の使用基準が現場の隊員の立場になって見直されつつあるが、いまだに国連標準いわゆるBタイプの武器使用は我が国では認められていない。

航空観閲式観閲官訓示(10月16日、百里)

 


このような中、2007年国際平和協力活動等の本来任務化を果たしたことのみ記憶に新しい。

 現在、ゴラン高原UNDOF(45人)のほか、国連ハイチ安定化ミッション(350人)、ジブチ派遣海賊対処航空隊(陸海250人)へも部隊派遣が行われ、またスーダン、ネパール、東チモールの個人派遣等がなされているところである。

 10月16日、航空観閲式で、観閲官でもありまた最高指揮官でもある野田佳彦総理の訓示に「南スーダンPKOへの部隊派遣は国際社会から信頼、尊敬される国になるためには一層取り組む」とあった。

 これまで、我が国のPKO、国際協力活動などの現場はまさに薄氷を踏む思いで部隊を送り出し、19年間、1発の銃弾を撃つことなくかつ1人の殉職者を出すことなく今日までこられたのは、幸運の連続と派遣自衛官の涙ぐましい真摯な努力のみにすがってきたのである。

 それゆえ今後も引き続き、隊員の努力のみに頼ることには限界があうことから、国際社会からの期待に応えられるよう武器使用に関する法整備を早急に行うことを期待したい。派遣される自衛官の気持ちを代弁するものである。

 実際、国際社会から見た我が国の武器使用問題を巡る法律論議が奇異な現象であると見られていることは否めない。こうした政治の曖昧さを持ったまま南スーダンPKOへ参加する隊員の皆さんが現地で自信を持って任務を遂行する基盤をつくるのが政府の役目であろう。

 私は2009年6月アフリカPKOセミナーにメンターとして招聘された際に、国際平和協力活動派遣に関し、日本国として明確な判断基準(CRITERIA)設定の必要性について痛感し、本稿の最後にその私見を述べる。



2 南スーダンPKOはアフリカ連合(AU)を視野に入れよ



 「アフリカの平和構築はアフリカの手で!」とするアフリカ連合(AU)の理念が存在する。そのAU平和安全保障アーキテクチャー(APSA)の制度設計に当たって、国連の集団安全保障体制と類似し、AUがその中心となってその下部にサブリージョナルな機関を置いている。

 ASPSAの中核となるアフリカ待機軍制度は2010年までに設立を目標としてきたが、制度の完成にはしばらく時間を要するものの、既に5つのサブ地域でそれぞれにPKOセンターを設置し、具体的には西はガーナにコフィ・アナンPKO訓練センター、マリにフランス主導のPKOセンター、また、東にはケニアとルワンダに、北部ではエジプトPKOセンターが有名である。

 AUの本部があるエチオピアの首都アジスアベバには国連PKO局に相当するPKOの統括部門、司令部があり、ここがAPSAの中核である。

 ここで具体的には、各5カ所のサブリージョナルにある機関と相互覚書(MOU)を結んで動員計画や訓練計画を立案できるよう整備しているが、現在は資源やノウハウもなく、国連とEUがMOUを結んで人材と資金を提供している。

 現在のところアフリカの安全保障上の脅威は、民族間紛争は大体終結し紛争自体は減少方向にあった。昨年末から一連のアラブの民主化運動がマグレブ諸国を巻き込み国内政治が流動化し、リビアでは内戦後新局面を迎えつつある。

アフリカの平和はアフリカの手で(カイロ)

 


 現在ではスーダン、慢性的にはコンゴ民主共和国、そしてソマリア、コートジボワールが問題を抱える。それでは、アフリカ諸国から見た国連はどのような地位にあるのか。

 我が国が1994年9~12月ルワンダ難民救援隊をザイール領ゴマに派遣しルワンダ難民の救援活動(医療、防疫、給水、航空輸送)を実施した。

 しかし後日、我が国の総理とルワンダ共和国カガメ大統領が会談した際、内戦終了直後に日本の部隊派遣に対し全く感謝の意を示さなかったのである。

 その当時のカガメ大統領の立場を考えれば、国連不信は当然のことであり国連のUNHCRの要請による自衛隊派遣は評価されていなかった。アフリカにおいては一般的に日本のような国連に対するある種の絶対的尊厳性を持ちえないのである。

 それはアフリカが歴史上欧米の植民地として奴隷の供給地であり、資源を搾取され、民族を分断され、まさに暗黒時代が1950年代まで続いたことを考えれば、国連と言っても欧米の主導によるものであり、単にアフリカを資源搾取の対象としてみる列強の輩と映るのであろう。

 そして搾取がまた始まるという危機感をアフリカの民衆の誰しもが持っている。

 私がメンターとして参加したエジプトPKOセンターではアフリカ待機軍の基幹要員として准将クラス25人に図上演習を実施した。その際、セミナー冒頭でアフリカの訓練生にニューヨーク国連PKO局が制作したPKO展開の様相をドラマ化したVTRを視聴させた。

 内容はザイールの首都キンシャサをモデルに英国のPKO部隊が装甲車を先頭にある町の広場に進駐する。その住民は物陰から怯えながら英国のPKO部隊を注視しているところ、群衆の中から銃声がこだまする。

 平和のシンボルであるブルーヘルメットを被った英国のPKO兵士たちが群集を払いのけ、隠れていた2人の若い男を捕獲し、小銃の床尾板で顔面を殴打し続け、腹這いにし制圧する場面が長々とある。

 アフリカの人々から見れば感情的に中世からの暗黒の時代と同じ仕打ちであるとしか受け取ることができない、国連PKO局のデリカシーの欠如と感じた。

 そこで私が本エジプトPKOセミナー主催役である元英国陸軍少将ゴードン氏に演習の効果上、極めて不適切である旨申し入れしたところ、残念ながら理解は得られなかった。力のPKOすなわちピースエンフォースメント(武力による平和執行)が国連の方針だとして一蹴された。

 アフリカの平和構築の道程には数世紀に及ぶ長い闇の歴史が続いていたのである。これを理解して行動できるのは歴史上搾取する側に加わらなかった中国を除くアジア諸国である。

 特に日本への期待は大きい。よって我が国のアフリカPKO派遣の形態は国連一本主義ではなくアフリカ連合(AU)への支援をともに行うことが中長期的視野からも肝要である。



3 AU平和安全保障アーキテクチャー(APSA)への支援を

アフリカ待機軍制度の検討(カイロ)

 


 ASPA(AU Peace and Security Architecture)は2002年に開催された第1回AU首脳会議(南ア、ダーバン)にて採択、2003年12月に発効した。

 これには平和安全保障理事会議定書に明記され、AUはパートナー国(ロシアを除くG8諸国はじめ日本)の協力を得つつ準備を進めてきた。

 その中核となるアフリカ待機軍(Africa Standby Force: ASF)は2010年中の設立を目標としてきたが、遅れながらも創設に向けAUは準備を進めている。

 具体的にはアフリカを5個の地域(東部、西部、南部、北部、中央部)に分け、それぞれの地域部隊(旅団)を持つ。東部(EASBRIG)、西部(ECOBRIG)、南部(SADCBRIG)、北部(NASBRIG)、中央部(ECCASBRIG)から構成され、各旅団は文民部門(警察部門を含む)を含むとされている。

 ASF全体のスケジュールは第1段階(ASF設立に関する枠組み合意文書の策定・採択、組織体系の決定など)を終了し、第2段階(ASFの細部任務の確認、平和維持活動のための組織整備、運用コンセプトの深化、ASF全力展開を必要とする事態への対応力の強化、枠組み文書を根拠とする訓練、演習、ロジスティックスに関する文書整備)、現状の確認レビューを実施している。

 さらには今後、第3段階として地域部隊ごとの演習(図上演習、指揮所訓練)を実施後ASF全体での図上演習を実施しASFの運用を図る予定である。

 このアフリカ待機軍制度を後押ししているのは国連、EU、日本であり、国連PKO派遣の前に、アフリカが自らの平和構築へ努力をしている現状を認識しさらなる協力分野を探すべきである。

 ASFに決定的に不足する機能は、大規模部隊を移動させる輸送力であり、旅団クラスの戦略機動は決定的に質、量ともに不十分である。

 仮に我が国が有する海上自衛隊の「おおすみ」「ひゅうが」クラスの補給艦が提供されれば、5個の地域からの戦略機動能力が高まる。内陸部の輸送は大型輸送機、ヘリなどが期待されるがアフリカの地域性からその運用は限定される。



4 政府としての判断基準を明確に!

 

 以下、PKO等国際平和協力活動への提言(私見)である。

国際平和協力活動等派遣の判断基準(CRITERIA)

 国際平和協力活動はいかにあるべきか、この問いの答えとして「国際社会の奉加帳である」と考える。国力、国情に勘案して以下の必要条件を具備し、かつ判断基準を満たすものに積極的に参加すべきと信ずる。


(1)必須条件
ア 成功する見込みがあること
イ 十分な資源が適応されること
ウ 派遣期間及び地域的範囲が限定されていること(終始時期が見えないものには参加しないこと)


(2) 判断基準
ア 日本の国益に合致すること、すなわち派遣の大義があること
(地域、同盟、人道的利益、国民の支持)
イ 日本が参加することで効果が上がること
ウ 日本の防衛や災害派遣等への影響がないこと
エ 派遣部隊にどのような訓練が必要か、また隊員にどのような危険が及ぶのか精査し得ること

 

 私がPKO派遣を主務とする陸上幕僚監部防衛部国際協力室長として平成10年6月武器使用基準がそれまでの隊員個人の判断で正当防衛の範囲において許されたが、改正により上官が現場に在る時は現場の上官の命令によることとなった。

UNDOF5次隊への武器使用説明:筆者

 


 当時、日本のPKOはゴラン高原のUNDOFのみであった。派遣中のUNDOF5次隊長 佐藤正典3佐(現三重県地方協力本部長1佐)以下司令部要員2人を含む日本隊45人を現地ジウアニ宿営地において教育を行った。

 日本の規則(基準)についてUNDOF側の評価は高く、同参謀長からもさらなる改正により1日も早く国連スタンダードいわゆるBタイプの武器使用を実施できるよう要望がなされた。

 最後に参謀長の日本隊への評価は「極めて優秀である」と述べ、佐藤隊長以下全員が深夜まで黙々と任務を遂行している姿は他国の隊の模範であり、1個小隊(輸送隊)でなく1個大隊クラスの派遣を希望したいとする旨の発言もあった。

 政府与党調査団随行当時のコステルス司令官の心配は、1次隊佐藤正久3佐(現参議院議員)らの寝食を忘れて輸送任務を黙々と達成したことにより、完全に解消された。

 後日談として、1999年藤縄祐爾陸上幕僚長はオランダ公式訪問時、在オランダ日本国大使館において日本隊をUNDOFに受け入れ、ピースキーパーとしての若葉マークから卒業させて頂いたステルス退役少将の功績を評価して感謝状贈呈を行った。

 英文の感謝状を朗読する私に4年前のUNDOF司令官としてその孤高の厳しさを持って、日本隊を教育訓練し一人前にした情熱を感じることができた。

 このように日本隊のPKOは極めて高い評価を得てこられたのは現場の隊員一人ひとりがその使命を自覚し、完璧に任務を遂行してきたからである。

 政治はその不意不作為に溺れず、隊員が緊急時、武器使用に関し他国から批判されることのないよう環境を十分に整備することが役目である。



5 結言、我が国ができること

 


 すべては自衛隊が軍隊なら起こらない論議から起きている。これまで繰り広げられてきた国内で自衛隊の派遣は是か非かの論議ごっこは、自衛隊が軍隊なら起こり得ないことである。

 イデオロギーや主観の違いにより果てしなく切り替えし、現場の声や現実と無縁である。自衛隊が軍隊として憲法上明確に位置づけられれば堂々巡りの論議に終止符を打つことができる。

 政府も国民もあえてこの問題に踏み込まない限り、国際社会の信頼と尊敬をPKO分野で期待することはできない。最高指揮官野田佳彦総理のお言葉だけではなく、真に国際社会の信頼と尊敬を得るための日本国としての覚悟を見せていただくことを強く願う。