夕刻の備忘録 様のブログより。
「衣食足りて礼節を知る」とは、物質的な充足が、心理面での余裕に及び、そして漸く倫理感を醸成するに至るという意味であろう。さて、それでは世界最高水準の物質的充足を享受している現代日本では如何に。それは
衣食足りて退屈を知る
ということに尽きる。偏向マスコミの誘導が激しかったとはいえ、有権者の過半が望んだのは、自らも意味のよく分かっていない「改革」であり、信じたものは、「未経験者達の戯れ言」をそのまま鵜呑みにした「一度やらせてみて、ダメならまた代えればいい」であった。
長く不景気が続いている、就職難である、そして失業者は増え続けている。駅前商店街は「シャッター通り」に変貌し、自称「大企業」とやらも瞬く間に消滅していった。確かに不況なのである。確かに「衣食の足りない心配」が現実のものに、切実なものになっているのである。
しかし、その最中に有権者は、「魅力の無い保守」に見切りを付けて、「正体不明の革新派」に国家を委ねた。魅力など最も無用な、害悪でしかない時期に、本物の実力、本物の政治が最も必要なこの時期に、「衣食の不安を訴える人達」が、正反対の投票行動に出た。
我々は「衣食足りて礼節を知り」、飽食の後に来る「退屈」を知った。その憂さ晴らしを政治家に求めた。日々の実務に懸命な政治家は、まさに「退屈の発生源」と見倣された。あたかも「衣食足りるようにした政治こそ」が、退屈の根源であるかの如くマスコミは一方的に批判した。そして、その隙に「魅力溢れる素人達」が政権を掠め取った、それが今時の政権交代の実態である。
何度も繰り返してきたが、保守政治に「魅力」は無用である。粛々と仕事を熟す仕事師集団であれば、それでいい。真面目に仕事をしてきた人間には、国家観も歴史観も附随するものである。それが無いのは、何処かで自分の仕事に手抜きをしている証拠である。
★ ★ ★ ★ ★
詐欺師は若さを売り物にする。
清新溌剌を売り物にする。
改革を売り物にする。
大きな夢を語り、未来を描いて見せる。
自らの無能・怠惰を、身振りの派手さで誤魔化すのである。
一方で、実務に長けた人間には、誇るものがない。懸命に働き、懸命に他人を支えることは当り前のことであり、何も誇ることではない、と考えるからである。私の仕事を見て下さい、としか言えないのである。ひけらかすことを知らない人達は、それ故に軽んじられる。見る目を持たない人達に、否定されるのである。
詐欺師の典型たるマスコミ人士は、自らを肯定するためにも、常に改革派を名乗る。改革の誘惑をもって国民を誑かすのである。夢など必要の無い場面で「この人には夢が無い」と罵り、夢を語る必要のある場面で「この人には現実感覚が欠落している」と酷評する。全ては自己肯定のためである。自分自身を超越的な高みに置くためである。
保守政治家は、これに対抗しなければならない。それはここで示した保守の定義によれば不可能である。それは即ち、静かで堅実な政治家の目指す所とは異なるからである。マスコミの大宣伝に対抗する、対抗し得るような政治家は、その定義に矛盾するが故に、保守政治家たり得ない。ここに大きなジレンマがある。
こうした袋小路から脱して、我が国のほとんどの国民が潜在的に求めている、静かで確かな暮し、家族が共に支え合い、社会と融合して助け合う政治を実現させるには、こうした問題点を国民のそれぞれが自覚する必要がある。
生涯を賭けて二億円を稼ぐ地道なサラリーマンと、一夜にして十億円を稼ぎ、一夜にして無一文に戻る相場師と、どちらが結婚相手として、長く人生を共にするパートナーとして相応しいかである。ましてや、一円も稼いだことが無いのに、その算段も無いのに、一流の相場師を気取る詐欺師に引っ掛かった時の、その惨状を想像して頂きたい。
★ ★ ★ ★ ★
「保守政治には魅力がない」、実はこの点こそが保守の神髄であることを。「魅力」のある政治とは、現状否定派、不平不満派が自らの捌け口として、下手な踊りを踊ってみせる悪質な政治ショーに過ぎないことを、国民は知る必要がある。
こうした根本的な問題に立ち返らなければ、保守政治は本当に死滅してしまう。世界同時不況の最中に、各国で左翼・独裁が盛り返しているのは、こうした現状に対する国民の不満に対して、出来もしない約束を簡単に行い、有りもしない手形を乱発して「稚拙な夢を語る」左翼のお家芸が、「この時代」に適応しているからである。
魅力の無いところが「最大の魅力」である。保守を標榜する政治家は、この点を今一度確認して、自らの立ち位置をより強固なものにして頂きたい。間違っても、左翼風の魅力に対抗しようとしないこと、それは保守の自滅に過ぎないことを今一度確認して、この問題の重大さを一人でも多くの国民に伝えるようにして頂きたい。このままでは、我が国は、詐欺師が支配する詐欺国家に零落れてしまう。もう一度「男は背中で語る」時代を取り戻さねばならないのである。
衣食足りて退屈を知る
ということに尽きる。偏向マスコミの誘導が激しかったとはいえ、有権者の過半が望んだのは、自らも意味のよく分かっていない「改革」であり、信じたものは、「未経験者達の戯れ言」をそのまま鵜呑みにした「一度やらせてみて、ダメならまた代えればいい」であった。
長く不景気が続いている、就職難である、そして失業者は増え続けている。駅前商店街は「シャッター通り」に変貌し、自称「大企業」とやらも瞬く間に消滅していった。確かに不況なのである。確かに「衣食の足りない心配」が現実のものに、切実なものになっているのである。
しかし、その最中に有権者は、「魅力の無い保守」に見切りを付けて、「正体不明の革新派」に国家を委ねた。魅力など最も無用な、害悪でしかない時期に、本物の実力、本物の政治が最も必要なこの時期に、「衣食の不安を訴える人達」が、正反対の投票行動に出た。
我々は「衣食足りて礼節を知り」、飽食の後に来る「退屈」を知った。その憂さ晴らしを政治家に求めた。日々の実務に懸命な政治家は、まさに「退屈の発生源」と見倣された。あたかも「衣食足りるようにした政治こそ」が、退屈の根源であるかの如くマスコミは一方的に批判した。そして、その隙に「魅力溢れる素人達」が政権を掠め取った、それが今時の政権交代の実態である。
何度も繰り返してきたが、保守政治に「魅力」は無用である。粛々と仕事を熟す仕事師集団であれば、それでいい。真面目に仕事をしてきた人間には、国家観も歴史観も附随するものである。それが無いのは、何処かで自分の仕事に手抜きをしている証拠である。
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詐欺師は若さを売り物にする。
清新溌剌を売り物にする。
改革を売り物にする。
大きな夢を語り、未来を描いて見せる。
自らの無能・怠惰を、身振りの派手さで誤魔化すのである。
一方で、実務に長けた人間には、誇るものがない。懸命に働き、懸命に他人を支えることは当り前のことであり、何も誇ることではない、と考えるからである。私の仕事を見て下さい、としか言えないのである。ひけらかすことを知らない人達は、それ故に軽んじられる。見る目を持たない人達に、否定されるのである。
詐欺師の典型たるマスコミ人士は、自らを肯定するためにも、常に改革派を名乗る。改革の誘惑をもって国民を誑かすのである。夢など必要の無い場面で「この人には夢が無い」と罵り、夢を語る必要のある場面で「この人には現実感覚が欠落している」と酷評する。全ては自己肯定のためである。自分自身を超越的な高みに置くためである。
保守政治家は、これに対抗しなければならない。それはここで示した保守の定義によれば不可能である。それは即ち、静かで堅実な政治家の目指す所とは異なるからである。マスコミの大宣伝に対抗する、対抗し得るような政治家は、その定義に矛盾するが故に、保守政治家たり得ない。ここに大きなジレンマがある。
こうした袋小路から脱して、我が国のほとんどの国民が潜在的に求めている、静かで確かな暮し、家族が共に支え合い、社会と融合して助け合う政治を実現させるには、こうした問題点を国民のそれぞれが自覚する必要がある。
生涯を賭けて二億円を稼ぐ地道なサラリーマンと、一夜にして十億円を稼ぎ、一夜にして無一文に戻る相場師と、どちらが結婚相手として、長く人生を共にするパートナーとして相応しいかである。ましてや、一円も稼いだことが無いのに、その算段も無いのに、一流の相場師を気取る詐欺師に引っ掛かった時の、その惨状を想像して頂きたい。
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「保守政治には魅力がない」、実はこの点こそが保守の神髄であることを。「魅力」のある政治とは、現状否定派、不平不満派が自らの捌け口として、下手な踊りを踊ってみせる悪質な政治ショーに過ぎないことを、国民は知る必要がある。
こうした根本的な問題に立ち返らなければ、保守政治は本当に死滅してしまう。世界同時不況の最中に、各国で左翼・独裁が盛り返しているのは、こうした現状に対する国民の不満に対して、出来もしない約束を簡単に行い、有りもしない手形を乱発して「稚拙な夢を語る」左翼のお家芸が、「この時代」に適応しているからである。
魅力の無いところが「最大の魅力」である。保守を標榜する政治家は、この点を今一度確認して、自らの立ち位置をより強固なものにして頂きたい。間違っても、左翼風の魅力に対抗しようとしないこと、それは保守の自滅に過ぎないことを今一度確認して、この問題の重大さを一人でも多くの国民に伝えるようにして頂きたい。このままでは、我が国は、詐欺師が支配する詐欺国家に零落れてしまう。もう一度「男は背中で語る」時代を取り戻さねばならないのである。