隊員たちが毎日磨き上げる半長靴、
頑丈なのは東北の「お母さん」の手作りだから。
2011.10.05(水)桜林 美佐
猛威を振るった台風15号は、震災の傷痕の残る東北地方も容赦なく襲った。その数日後、私は岩手県一ノ関市を訪れた。
爽やかな秋空、思わず深呼吸したくなるような空気、まるで地震も台風も嘘だったかのようだ。しかし、駅から車で走っていくと崖が崩れている所があるなど、傷痕は生々しい。
ここに来たのは、自衛官を支えている重要な装備品である半長靴(はんちょうか)の製造現場を見るためだ。製造している会社はミドリ安全である。東京都内に本社を構えているが、工場は東北が多い。
田んぼの中にポツンと、その作業場の1つがあった。携帯電話は圏外になっていた。中に入ると、エプロン姿の30人ほどの女性たちが黙々と作業をしている。半長靴製造の最初の工程をここで行っていた。

微妙なカーブを作りながら皮を縫い合わせるけっこうな力作業を、簡単そうにやってのける。全てが丁寧な手作業である。
だが、できるだけ素早く作業をこなさなければ到底間に合わない。というのは、今回の震災で派遣され、行方不明者の捜索などを行った自衛官たちは、瓦礫の中で活動する際に、足の裏にガラスの破片や釘が突き刺さるなどの事故が当たり前のように起きていた。
そのため、丈夫に作られた靴でもかなり損耗してしまい、補正予算で大量に調達することになったのだ。
靴作りを担うのは周辺農家の主婦たち
「靴ばかりは、不具合があっては動くことができません」と誰もが言うように、洋服のほころびならば多少我慢ができても、靴だけはそうはいかない。
靴ずれがちょっとでもできたり、穴が開いたりしたら、途端に歩くのがイヤになる。40キロも50キロも行軍する自衛官にとっては、なおのこと大事なアイテムだ。
履き心地を高めることはもちろん大切だし、何よりも隊員全体に行きわたるようにしなければならない。自衛隊の、特に陸自の個人装備品は、予算がないためになかなか全員に支給されない。だが、今回に限っては、さすがにそういうわけにはいかないのだ。
震災後の災害派遣では、釘を踏んで穴が開いた靴で働き続けた隊員も多い。「早く新しい靴をはかせてあげたい」という思いから、地震や台風の被害を受けた東北の被災地の人々が、一丸となって靴作りに取り組んでいるのだ。
ここで働くのは、周辺農家の主婦がほとんどである。彼女たちは、靴作りと、家庭での主婦の仕事の両方をこなしている。今回の増産が、彼女たちの家族に何かと不自由な思いを強いていることは想像に難くない。
しかし、みんな高度なワザを持っているので、自衛隊の活動のためには、今、無理をしてもらわなくてはならない。いわば、国がお母さんを必要としている状況なのだ。
靴を使う側からは、「もっとこういう靴を」といろいろな要望が寄せられる。それに応えるだけでなく、「どんな形が履きやすいか」「どうすれば安全なのか」という自主的な研究開発にも余念がない。
50キロ歩いても靴ずれしない靴を開発した時は大いに喜ばれ、達成感を味わった。しかし、その後、しばらくして「あれは痛くはならないけど、ムレてくる」と指摘され、また新たな挑戦が始まったという。
靴の改良にゴールはない。しかも、靴のサイズは0.5センチ刻み。種類ごとに様々な大きさを作らねばならない。「靴は、手間がかかる割に儲けが少ない」と言われる所以だ。
目には見えない傷でも検査に通らない
少し離れた所に、最終工程の作業をする工場がある。その工場に見学に行くと、ちょっと違う形の半長靴が目に入った。空挺隊員用のものだった。
落下傘で降下する隊員は、着地時に足首を骨折するケースが多いという。それを極力防ぐために足首にクッションを入れるなどの安全上の工夫が随所にある。
皮のどの部分を使うか、ゴムの配合、中敷き、補強部材・・・、全てが安全のため最適なものを追求した結果であり、何らかの意味がある。
靴を150度ほどに熱してゴムを取り付ける最終加工工程は男性が担っている。作業現場は、離れて見ていても暑い。冬でも相当、汗をかく作業だろう。
ちなみに、皮にちょっとでも傷が見つかると検査には通らない。「ほら、ここに傷があるでしょう」と言われて皮の表面を見たが、私には分からないレベルであった。しかし、自衛官が毎日ピカピカに磨きあげて使うことを思うと、顕微鏡でしか見えない程度の傷でも見過ごすことはできないのだ。
半長靴作りのこの現場では、今回の震災で被災した人も新たに雇用したという。ほとんど手作業で、何万足もの靴を期限内に製造するのは、とても一筋縄でできることとは思えない。だが、東北の人たちの自衛隊への感謝の気持ちがエネルギーとなって、今日も靴作りが進められているのである。