【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博
東日本大震災が起これば、西日本大震災は遠からず起こると専門家はいう。大震災の前から、30年以内に東海地震、東南海地震、南海地震が発生する確率が、87~50%だといわれていた。
過去にも現代と似て非なる激動の時代があった。江戸・安政年間は、年号名が示唆するような安定的な治世ではなかった。嘉永末年にペリーの黒船が浦賀に来航すると、その翌年の安政元(1854)年にも、江戸湾深くに再来航して条約の締結を迫った。
実はこの年11月に東海地震と南海地震が連発し、翌2年には首都直下型地震が江戸の町に追い打ちをかけた。この3つを合わせて「安政3大地震」という。江戸幕府は「外圧」と「天災」のダブルパンチで大混乱に陥り、米英露と相次ぎ和親条約に調印せざるを得なかった。
続く安政3年には、超大型の台風がまたも江戸を直撃して死者10万人という「安政の大風災」が記録されている。さすがの江戸っ子も天災の連鎖に恐れおののき、混乱の中で徳川の御代を呪った。同5年は、幕府が尊王攘夷派を弾圧した「安政の大獄」が起きている。すごい時代だ。
京都大学教授の藤井聡さんは、これらの天変地異が江戸幕府の基礎体力をむしばんでいったという。対する倒幕派の薩摩や長州は、不思議に安政地震から派生する大災害の直撃を受けていなかった(藤井『列島強靱(きょうじん)化論』)。安政東海地震を遠因に、ついには幕藩体制を突き崩した。つまり「天災」の連鎖が、明治維新という「革命」を誘発したといえる。
内紛や天災で国が乱れると、スキをついて敵対勢力がなだれ込むのは権力政治のおきてである。理不尽ではあるが、攻め込む側にとっては最小の犠牲で最大の効果を生むことになる。いまの日本もまた、周辺の腹黒い国々からの脅威への備えに手抜かりがあってはならない。
実は大正12年9月の関東大震災のときにも、救援の外国勢と虚々実々の駆け引きがあったことはあまり知られていない。
大地震の発生とともに、日本の海軍は3つの鎮守府から艦艇が急行したほか、遼東半島沖にいた連合艦隊が東京湾に向かった。このとき、黄海にあった米国の太平洋艦隊は、震災4日後には8隻が東京湾に入港している。これが日本の連合艦隊の帰着と同じ日であったことに海軍当局者は度肝を抜かれた。
米軍の救援部隊の中に、情報要員がまぎれ込んでいた。このときの震災と火災の関連調査が、後の日本本土空襲作戦の立案で焼夷(しょうい)弾使用の参考にされたという。しかも、連合艦隊の旗艦「長門」は、ひそかに英国の巡洋艦から追尾を受けた。長門は最新鋭の高速戦艦で、秘匿されていた速力が解析されてしまう(防衛研究所ニュース通算86号)。
今回の東日本大震災では、米国は同盟国として「トモダチ作戦」の救援活動を展開してくれたが、中国は尖閣諸島沖で艦載ヘリを海上自衛艦に接近させ、ロシアは偵察機を日本領空ギリギリに飛行させた。
米国のAEI研究所のブルーメンソール研究員はアジアに潜む不安定の主因をこう見ている。
「それは日本の衰退に対する中国の興隆である。強かったライバル国・日本の力が衰え始めたと認識したとき、大国間の摩擦が始まる」
(東京特派員)