【土・日曜日に書く】論説委員・福島敏雄
≪なぜ「フクシマ」なのか≫
「風評被害」というイヤなコトバがある。いつから生まれたのか知らないが、最近では鳥インフルエンザや牛の口蹄(こうてい)疫、新型インフルエンザ騒動が記憶に新しい。
新型インフルエンザのさいには、街中を歩く日本人の多くがマスクを掛けていたことに対し、外国人が「不気味だ」と答えていた。もっとひどかったのは、集団感染した高校生たちへの、いわれのない「差別事件」まで起きたことだ。
もちろん、われわれジャーナリズムにも責任はある。だが行政当局や学者たちが、混乱に拍車をかけた側面が強い。
福島の原発事故によって、またまた風評被害が現在進行形で起きている。事故の初期には、福島県などから避難した人を泊めない旅館や、避難した児童へのいじめ、さまざまな産物の販売中止が起きた。
その後も、京都の五山送り火での被災地からの薪や、福島県内の工場で作られた花火が使用中止となった。最近では、福島産の農産物を販売する応援ショップが中止に追いこまれるという、信じられないケースも起きた。いずれも科学的な根拠はなかった。
「土曜日に書く」というタイトルの下にあるように、筆者の姓は「福島(戸籍上は福嶋)」である。べつに由緒がある家系ではないが、その「福島」が「フクシマ」などと、カタカナで表記されるようになった。これには個人的にもショックを受けた。カタカナの表記には、理由があるからだ。
ドイツの劇作家、ブレヒトに「異化効果」という演劇理論がある。ふだん見慣れ、聞き慣れているものに対し、奇異の念を抱かせることを狙った作劇術である。
≪「清浄」は民族的心性≫
「フクシマ」は、いまや奇異の念を抱かせるための、異化効果を狙った表記となった。それだけならまだしも、忌避や不浄の対象にもなりつつある。
「バイ菌」といういじめ用語があるように、日本人という民族の心性には「不浄」に対する根強い忌避・拒否感が、DNAとなって埋め込まれている。「放射能を、うつしてやるゾ」と放言したエライはずの大臣も、同じDNAを引き継いだのであろう。
そのDNAの源をたどると、どうも平安中期にまでさかのぼるように思える。改元の理由が変わったのである。それ以前は、天皇の代替わりにともなう改元をのぞけば、白雉(はくち)や白鹿(はくろく)などが献じられると「瑞祥(ずいしょう)(めでたいしるし)」だとして改元が行われた。
だが10世紀初頭の改元以降、江戸末期まで、改元は干魃(かんばつ)や疫病の流行、地震などの災害が起きるたびに行われるようになった。天変地異などを「不浄」「不吉」と見なし、改元することによって、清浄で安全な時代に戻ることを願ったからである。
不浄は、これまたカタカナで「ケガレ」と表記される。「ケガレ」の「ケ」は、「ハレとケ」の「ケ」であろう。「ハレ」は祭りなどの非日常をさし、「ケ」は日常の生活をさす。
民俗学の分野では、「ケ」が「枯れる」から「ケガレ」というコトバが生まれたという説がある。その典型は「死穢(しえ)」であり、「罪」と「災」がつづく。
だが放射能の汚染という「災」は、それが人為的な災害であるがゆえに、ケガレなどではない。医学を含めた純然たる科学が取り組み、解決していくべき問題である。行政府はそれにもとづき、諸施策を立案し、不必要なカネをそのための予算にどんどん「うつしてやるゾ」という心構えで臨まなければならない。
≪「石棺」を造るな≫
福島の原発事故のあと、同じく「レベル7」の大事故を起こした旧ソ連・チェルノブイリの原発の現状をテレビで見たことがある。どっしりとした灰青色の構造物は「石棺」と呼ばれ、分厚そうなコンクリートでびっしりとかためられていた。
事故が起きたのは1986年4月、いまからちょうど四半世紀まえである。「石棺」という不吉な呼称を付けられたのは、その形状からだけではなく、事故によって運転員らが犠牲になったからでもあろう。
福島の原発がどのようなステップを踏み、汚染を封じ込めていくのか、ほとんど未知の領域に属する。すくなくとも「石棺」などと呼ばれるような構造物を造ってはならない。
でないと、「フクシマ」はいつまで経(た)ってもカタカナのままである。血縁はひとりもいないが、「福島」姓としては、福島県を中心とした被災者たちが一日も早く、「ケ」の生活にもどれるように願っている。
(ふくしま としお)