【あめりかノート】
ワシントン駐在編集特別委員・古森義久
■日本から柔道コーチ
ワシントン近郊アナポリスの米国の海軍士官学校が学生の柔道の定期練習に日本からコーチを正式に招くこととなった。ささやかな話とはいえ前例がなく、経緯をたどると、日米両国間の人間レベルの絆の強さや温かさを実感させられる。「基軸」とか「深化」という空疎な言葉が先行し、実体がついていかない政権レベルの現況とは対照的である。
この話を米側から最初に知らせてくれたのは同校の教官で柔道部長のジョン・ドナホー海兵少佐だった。少佐は私の通う「ジョージタウン大学・ワシントン柔道クラブ」に昨年来、学生たちを率いて、ときおり練習にきていた。教官なのに学生よりも稽古に夢中になるのが常だった。
少佐は190センチを超える巨漢だが、柔道歴は浅く、当クラブの強豪たちには歯が立たない。それでもがんがんぶつかっていくのだ。一度など片手をかばって練習しているので、尋ねると、「ちょっと痛めただけです」と笑顔をみせた。ところが後で実は指を骨折していたことがわかり、驚いた。「負傷しても平然と戦い続ける海兵隊精神?」と声をかけると、すっかり照れていた。
そんなドナホー少佐やその指導下の学生たちが日本の柔道に感嘆したのは昨年11月の井上康生コーチの来訪が主因だった。五輪金メダルの井上氏は士官学校の全学生4500人と昼食をともにする大歓迎を受け、実技をさんざんにみせた。学生たちの関心もぐんと高まり、それまで30人ほどの同好会扱いだった柔道クラブが正式の部となった。少佐や同校の訪問教官の高橋孝途一等海佐が熱心に推薦した結果でもあった。
日本の柔道へのこうした熱い関心が井上氏の母校、東海大学からのコーチ招請となった。東海大学の加藤雅史副学長あての正式の招待状でも「柔道の技量と日本の文化への認識を高めるため」と日本理解の深化をも目的にうたっていた。
ところが士官学校側のコーチの米国内経費負担は当然とはいえ、日米間の航空券代確保に複雑な手続きが必要となった。すると、計画を側面支援した在米日本大使館防衛駐在官の納冨中陸将補らから日本側民間への要請が提案された。具体的には東海大学体育学部長で柔道の世界覇者、山下泰裕氏が理事長を務めるNPO法人「柔道教育ソリダリティー」への航空券代供与の頼みだった。
ドナホー少佐が協力要請の書簡を送ると、山下理事長から即座に了解の返書がきて、しかも冒頭には米軍の「トモダチ作戦」への感謝の意が丁寧に記されていた。米海軍の日本救援大作戦へのささやかな返礼の意味をこめ、喜んで航空運賃を出すという返事だった。ちなみに柔道の国際普及を目的とするこのNPOには光本恵子さんという非常に有能な事務局長がいて、この種の国際的意思疎通が敏速をきわめる。
こんな経緯で海軍士官学校に送られるのは東海大学の大川康隆助教となった。大川氏は同大熊本キャンパスでスポーツ経営や英語を教えているが、学生時代は全国優勝の一員だった。日本五輪委員会の奨学金を得て米国で2年間実習し、柔道チャンピオンたちに全勝した実績もある。士官学校では大川氏の下で今月3週間ほどの集中練習をするという。
日本の柔道からは精神をも学びたいというドナホー少佐、日米両国のつながりがまだまだ健在だと思わされる言葉だと感じた。
(ワシントン駐在編集特別委員)