【日本よ】石原慎太郎
最近、世界中あちこちで思いもかけぬことが次々に起こっている。なぜここでこんなことが今突然にと思うものが多いが、実はそれらの出来事のほとんどには相関性がある。それを心得てかからぬと、ことの正確な分析も対処も、いやことの理解すらが損なわれかねない。その背景にあるものは歴然として人間の歴史の流れだ。その流れがもたらした必然の結果としての出来事なのだ。
平和極まりない国と思われていたノルウェイでの極右の青年の銃器による無差別一方的な大量虐殺事件も、実は他の多くの地域で行われているテロや、途上国でのれっきとした自由化運動と実は同じ、基本的な背景によるものに違いない。それはいわば現代における歴史の報復ともいうべき基本原理だ。
毛沢東がその簡潔的確な方法論『矛盾論』の中で説いているように、厄介なものごとの背景には目の前に見えて在る矛盾よりもさらに大きな矛盾、『主要矛盾』があって、それへの認識がなければ『従属矛盾』たる目の前のことへの正当な理解も解決もおぼつかない。
この現代に勃発している厄介な事件の大きな背景の主要矛盾とは、過去長きにわたるキリスト教圏の白人による他教圏、主にイスラム教圏への支配収奪への歴史的な反発と報復という歴史の大きなうねりに他ならない。
過去にはイスラム勢力によるキリスト教の聖地エルサレム占拠に反発して十字軍の遠征などという歴史的な愚挙(?)もあり、そのさらに以前にはチンギスハンの世界最大の帝国による過酷な全ユーラシア大陸支配があり、その頃のヨーロッパ人は騎馬民族の彼等におもねってわざとガニ股であるいたり髪をモンゴル人に真似てオカッパにしていたという記録まである。
要するに歴史は世紀をはるかに跨(また)いでうねり繰り返しているのであって、それを人間たちが作って絶対化して奉じる神の権威をかざして他を認めまいとすることそのものが実は愚かしいことなのだ。人間たちはその風土に合わせてさまざま工夫しそれぞれの神を造りだして奉じるが、それが他より優れて絶対的であるなどという論拠はどこにあるはずもない。
アメリカの首都やニューヨークで起こったテロも、その源泉とされているイスラム原理主義者たちが各地で頻発させているテロも、過去から延々と続いている排他的な一神教同士のいがみあいに便乗する政治の野望の角逐がもたらしたものであってその滞積が今日の混乱をもたらしているのだ。
三年前のオリンピック招致のキャンペーンに参加してみて裏も表も複雑にからみあっているあの招致運動の実態を通じて、現今の世界は陰陽あってもいまだ依然としてヨーロッパの白人たちが支配しているという現実を見届けた。
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私はここでその是非を問うているのではない。しかしその本質的状況、つまり『主要矛盾』の中でかつては彼等に支配搾取されてきた途上国たちは保有する資源を盾にかまえたり、他の政治的立場を踏まえての己の利益を貪欲に遂げようとしている。そしてそんな彼等を、かつての宗主国はさらに巧みに利用しようとしてかかる。そうした関わりの中では他の外交と同様に友情とか博愛などというものは二の次の話だ。それがかつてよりも時間的に狭小となった今日の世界における国家同士の関わりの、かつてと全く同じ本質でしかありはしない。
しかし世界はかつてと違ってさまざまな面で変質してしまった。第一には情報が氾濫しいかに貧しく知的ならざる人間でも、情報の乱入によって自らの在る世界と他の世界との格差を知覚し、それが格差の超克への新しい願望、欲望を育み、さらにそれが新しい政治的エネルギーを育ててしまう。
一方歴史の推移の中で支配被支配を推進してきたそれぞれ異なる絶対神なるものも、『神』なるが故に博愛や友情を説かぬものはないし、同じ人間における格差を是とするものもありはしない。故にも他の神を奉じてきたイスラム教圏の人々を拒否する宗教原理はキリスト教圏にも在り得はしない。難民を拒否して阻むことは彼等の信仰の原理に背くことにもなるのだから。
ということで許容してきた価値観や習慣のいちじるしく異なる異教圏の人々の数がある限界を超えると、それへの違和感はある種の疎ましさや恐怖を育てることにもなる。今日ヨーロッパの国々に起こっている移民たちとの摩擦はどれも同じ心理構造によるものに違いない。
しかし結局どの国もそれを防ぎきれるものでもないだろう。なぜならこれは前述のように歴史の報復がもたらした必然であって、彼等に反発するキリスト教圏の白人たちが既得のものとして失うまいと願う安定や繁栄は過去の支配と収奪がもたらしたものであって、歴史はその公平な分配を求めて動いているとしかいいようあるまい。世界一と自負しているアメリカの繁栄はかつては彼等が差別支配してきた黒人の奴隷の使役によって獲得されたものであって、アメリカは遅まきながら彼等に市民権も与え黒人の大統領を出すまでして歴史の報復に応えているではないか。
アフガンやイラクにおける戦闘でキリスト教圏の軍事力は、歴史の報復に対抗し決して彼等を制圧しきれまい。かといってイスラム教圏の人々が今のような試みで勝つとも言い切れないが。いずれにせよ現代のこの混乱は、地球は所詮人間全てのものだということを証すことになるだろう。