戦後体制からの脱却とは、拉致被害者の救出である。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「西村慎悟の時事通信」 より。



昨日は、公の領域と私の領域を分け、今行われている民主党の代表選びは、
 「私」の領域であると書いた。
 「公」の領域は、内閣総理大臣を指名する国会の衆参本会議である。
 しかし現在、戦後政治の長年の惰性の中で、この「私」が「公」に雪崩れ込んで、区別がつかなくなっている。
 その結果、「国の大事」を掲げるのではなく、誰と誰が会ったとか飯食ったとか、会った時間は十分に過ぎないとかの情報があたかも「公」であるかのように報道されている。
 しかし、今朝再び言っておきたい。今ごたごた為されていることは、「私」の領域の話しである、と。
 
 そのうえで、また再度言う、全日本国民と衆参各議員が国の大事に直面する「公」の場において、拉致被害者救出議員連盟の会長である
 平沼赳夫先生に、
超党派の首班指名が集まらねばならない、と。
 アメリカが湾岸戦争に突入するとき、アメリカ議会による戦争承諾か否かの採決に際し、議長は各議員に対して次のように述べた。
「もはや、共和党も民主党もない。諸君は、各々の信念に基づいて投票されよ」
 我が国の国会においても、百年に一度か二度、議長は議事開始に際して、同様に述べるべき時がある。それが、今だ、菅退陣後の衆参両議院における首班指名の時だ、と私は言いたい。

 そこで、拉致被害者救出問題とは何か。
 これは、戦後体制の中で生まれ封印されてきた問題である。
 戦後体制とは、日本は戦争をした悪い国であり、周辺諸国は「平和を愛する諸国民」という前提で構築されている。そのなかで、日本人が北朝鮮に拉致されていることを政界全体で封印してきたのだ。
 その封印の動機は、北朝鮮独裁政権との利権のネットワーク造りのため、あるいは、北朝鮮労働党とのイデオロギー的連帯のためと色々あろうが、我が国の与野党総体は、金日成・正日体制の北朝鮮との「日朝友好」で見事に一致していた。自民党と社会党の両党のボスが共に仲良く金日成に会いに行ったのが、その象徴である(金丸、田辺訪朝団)。
 
 従って、お分かりのことと思う。
 拉致被害者の救出は、この我が国の戦後体制を打破しなければ実現し得ない問題なのだ。そして、この戦後体制の打破こそ、これからのますます厳しさを増す国際情勢の中で、我が国を存続させるための前提である。
 あたかも、百五十年前に、徳川幕府の幕藩体制を打破して明治維新を成し遂げなければ、我が国は存続できなかったのと同じである。
 即ち、拉致被害者救出は、我が国家の存否がかかった問題である。自国民が他国に拉致されているのに、利権や「友好」の為に見て見ぬふりをして国民を見捨てる国家は存続し得ないのだ。

 更に言う。
 アメリカの国務長官が、コンドリーサ・ライスの時、アメリカのブッシュ政権は、突如対北朝鮮宥和に転じて、我が国にも宥和に転じるように要求した。ライス曰く、「北朝鮮は経済援助を得れば核兵器放棄に向かうから(嘘)、日本は北朝鮮に対する経済援助を開始すべきだ。」
更にライスの手下は言った。「日本は北朝鮮の核の脅威を無くしたくないのか。核がどれほど残虐な兵器であるか説明する用意がある。」
 このアメリカの嘘と恫喝に乗って、アメリカの覚えめでたきを得て出世しようとしたのが、今、民主党の代表選びで得意になってマスコミに出ている。
 つまり、国家の重大な安全保障上の課題と国民の命がかかった重要問題に関して、優先順位を付けることも、相手の嘘を見抜くこともせずに、ただ自分の出世を考える者が戦後体制の優等生である。そして、このレベルの者達の間で民主党の代表選びが行われているという訳だ。
 また、この状態は、何も民主党に限ったことではない。自民党こそ、戦後体制の担い手だったことを忘れてはならない。
 従って、現在の与党も野党も国の大事である拉致被害者救出に政党として取り組めない構造の中にあるのであるから、
国民も国会議員も、各党の旧来の体制の中で「公」を意識せずに、ただ菅の後釜を選ぶという惰性に身を任せておれば、気がつけば国が亡んでいる、ということを痛切に意識しなければならない。

 この救国の為にも、そして国民の命のためにも、拉致被害者救出は最重要問題なのであるから、心ある国会議員は、いつも国家から「もはや民主党も自民党もない。各自の信念に基づいて採決されよ」と呼びかけられているのを深く自覚し、今こそ、超党派となって「国の大事」を担うために、拉致被害者救出議員連盟の会長である平沼赳夫への首班指名に進むべきである。







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