「夕刻の備忘録」 様のブログより。
民主党が国益を語る時、それは特亜のための国益である。
民主党が外交を語る時、それは特亜のための外交である。
民主党が経済を語る時、それは特亜のための経済である。
民主党が歴史を語る時、それは特亜のための歴史である。
そして、民主党が人権を語る時
それは特亜のための人権である。
人権擁護だ人権救済機関だと名前を変えては、国民の心の隙に付け込もうとする。民主党が「日本の政党」ではない。「日本人の政党ではない」ことは、もはや隠しようもない。これは国籍云々の問題ではない。法的国籍が異なるだけなら、まだマシである。
世界中に、日本を愛し、日本人の暮らしぶりに敬意を表して、自らも日本人のように生きたいと考える外国人はいくらも居る。こちらがたじろぐほど、日本に関心を持ち、それを堂々と主張して下さる方は多いのである。「心の日本人」と形容してもいいだろう。
民主党の問題は、たとえ法的に日本国籍を持とうとも、その心が全く日本人のそれではないことにある。異臭を放つ生ゴミのように、思想的にも心情的にも、あっちで一つ、こっちで一つと摘み食い的に放浪してきただけの人間が、その混ぜ合わせの結果、異常発酵しているのである。何の間違いか国民の代表として選ばれてしまった。そのことを根拠に、さらに日本人離れした所業を繰り返しているのである。
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我々日本国民は冷静過ぎるのである。
人権は重要か、と問われれば「そうだ」と答える。
外国人も同様か、と問われれば「勿論だ」と答える。
この段階で既に、我々は袋小路に押し込められている。「明々白々たる事実」を裏に追いやり、反論不能の言葉の渦の中に落とされている。我々は、ここで沈黙してはならない、こう明言すべきなのである。
人権が重要なのは、主権者においてである。
外国籍の者は、その母国において保護されるであろう。
両者の権利が衝突する時、それは日本人が優先される。
日本国の主権者たる我々日本人の人権をおいて、政府は他に護るものなど無いはずである。ところが、「民主党の護るべき人権」とは、外国人優先である。信じられない、そんな馬鹿なと思う人は、彼等の主張を知るべきである。その行動を見るべきである。
彼等は地方参政権を在日外国人に与えようとしている。そして同時に、人権侵害救済機関の委員を、日本国籍を条件とせず、「地方参政権を有する者」と規定しようとしている。彼等の主張がそのまま通れば、日本人にあらざる在日外国人が参政権を持ち、同時に人権侵害を糾弾する組織の委員になり、日本人を捕らえ、裁くことが可能となる。
この日本において、何故日本人が外国人に告発され、逮捕され、裁かれねばならぬのか。日本における国家主権とは何なのか。主権者とは何なのか。国家の主人公たる我々日本人が、得体の知れない外国人の、文化も発想も異なる外国人の、特殊な組織に属し、特殊な思想的背景を持つやも知れぬ外国人の、その手によって社会的に葬られるとは、一体どういう事なのか。
既に多く語られているところであるが、「マンションの階段で小便をするな」と注意しても彼等の言う人権侵害に相当する。相手が外国人であれば、外国人差別だと糾弾される。「おはよう!」と声を掛けても、「理解出来ない言葉で精神的苦痛を与えられた」と訴えられれば、それで通ってしまう。冗談でも誇張でもない。法的に可能なのである。
民主党が推し進めているのは「多文化共生」ではない。
「他文化強制」である。
この日本において、外国人の意見に過剰に偏し、日本人の生活まで変えさせようとしている。文化の違いは様々な形で軋轢を生む。一方の親の虐待が酷く、子供を護るために別れた夫婦が、あろうことか逆に「誘拐」で訴えられている実例が多く報告されているではないか。
我々の人権に対する意識と、外国人のそれとは異なる。たまたま同じ部分が存在するだけだ。その同じ部分、人類における共通の部分に関しては、既に充分対策が練られている。今さら大声で言うほどの問題は、我が国には無い。
仮にこうした法律を認めたとして、何故僅かな人数しか居ない外国人にそのポストが回るのか、もはや想像の外である。何故人口比で考えないのか。何故積極的に外国人にそうした権限を与えたがるのか。単純な人口の比で考えれば、外国人に日本人の千倍・万倍の権限を与えるに等しい行為ではないか。
理解の遅い人にはこう話して欲しい。
この法律は、外国人の人権を日本人の一万倍優遇する法律である。
両者の利害が衝突する時、必ず外国人が優先される法律である。条文にあってもなくても、その適用が如何なる形態になろうとも、必死になって外国籍の人間を委員にしようとしている現状を見れば、これは明らかである。このことを考えれば、これがどれほど異常ないかがわしい法案であるか、理解出来るのではないか。
あなたやあなたの家族の人生は、日本を敵視し、日本人を恨むことだけで生きてきた外国人によって、決定的に破壊される。このことを知るべきである。今、知るべきである。後の祭にならないために。