【正論】国学院大学教授・大原康男
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110817/plc11081702390002-n1.htm
東日本大震災が起きて早くも5カ月が過ぎる中で、また8月15日が巡ってきた。今年は、恒例の全国戦没者追悼式で菅直人首相が述べる式辞の内容がとりわけ注目された。菅首相が内政・外交ともに行き詰まり、月内にも辞任する意向を明言したからではない。
そうではなくて、初めてとなった昨年の式辞が、「独自色」を出そうと目論見(もくろみ)ながらも、例年とさほど変わらない中身にとどまったのは、「時間的制約」によるものだったとされていたからであり、この6日の広島平和記念式典で、本来は慰霊の場であるにもかかわらず、「脱原発」を強調する異例の挨拶(あいさつ)を行ったからである。
≪サプライズなしの菅首相式辞≫
蓋を開けてみたら、大震災に言及した部分を除けば、昨年の式辞と大きく異なるところはなく、出席者も眉をつり上げずに済むという結果に終わった。だが、これで満足してよいわけではない。
この機会に、全国戦没者追悼式における首相の式辞のありようについて少々考察してみたい。
「支那事変以降の戦争に因る死没者(戦災死者などを含み、軍人軍属に限らない)」を対象としたこの追悼式は、占領が終結した直後の昭和27年5月2日に新宿御苑で行われたのが嚆矢(こうし)である。
主催者である政府を代表する吉田茂首相の式辞は、「日華事変以降の全国における戦没者の追悼式を行ってその冥福を祈り、遺家族諸氏の労苦に深く同情の意を表し、再びこのような大きな不幸が繰り返されることのないようにと祈念するものであります」というもので、あくまで同胞の戦没者と遺族に対するものであった。
≪吉田首相以来、続いた基調≫
追悼式が恒例化したのは、昭和38年、吉田首相の直弟子たる池田勇人首相の時である。これ以降の首相の式辞も、内容的には若干、膨らんだとはいえ、基本的なトーンは変わっていない。本欄でも1度言及したことがあるが、少なくとも平成4年の宮沢喜一首相までは、(1)戦没者を追悼する(2)戦没同胞の犠牲を伝え、平和を確立する決意を表明する(3)戦没者遺族に対する慰藉(いしゃ)の思いを述べる-という点では、ほぼ共通していた。
池田門下の1人である宮沢首相は、池田首相とは政治信条の点でやや違いがあったものの、本来のスタイルを守ったのである。
ところが、次に登場した細川護煕首相から大きな変化が生じた。平成5年の式辞で細川首相は「アジア諸国をはじめ世界の国々のすべての戦争犠牲者とその家族」にまで対象を拡大したのである。当然のことながら、それには細川氏が首相就任の際に示した、先の大戦を「侵略戦争だった」とする歴史認識が前提となっている。
我(わ)が意を得たりとばかり、村山富市首相は終戦50年に当たる2年後の平成7年に、「多くの国々、とりわけアジアの諸国民に対しても多くの苦しみと悲しみを与えました。私は、この事実を謙虚に受けとめて、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を表したいと思います」という一方的な謝罪の文言を式辞中に追加したのである。
≪細川氏が変え村山氏が縛った≫
加えて、「反戦平和」という左派平和運動のスローガンに由縁する「不戦の決意」なる一節を初めて挿入したのも村山首相である。この“自虐史観”をさらにエスカレートさせた「村山談話」とも相俟(あいま)って、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗と続く、その後の首相の式辞に大きな縛りをかけることになったのは既知の通りである。
そんな中でも、小泉純一郎首相は平成13年に、(橋本首相の例外的参拝を除けば)中曽根康弘首相以来16年ぶりに靖国神社に参拝しただけに、戦没者に対し「敬意と感謝の誠を捧(ささ)げたい」との熱い思いの一節を加えるなど、多少は式辞を改善させていくかにみえた。しかし、「不戦の誓い」の言葉は残り、首相の口癖である「心ならずも命を落とされた」という、言わずもがなの表現が付記されたように、改善は必ずしも十分なものではなかった。小泉首相として最後の参列となった平成18年には分量も以前より短くなり、「敬意と感謝の誠」も消えてしまって紋切り型の文言になっている。
安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の各首相の式辞もこの路線をほぼ踏襲した。総じて、「アジア諸国の人々に対して多大の損害」を与えたことを「深く反省」し、「戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持」するという点が特に印象づけられている。村山首相の式辞がもたらした桎梏(しっこく)がいかに強かったか、である。菅首相もこれにどっぷりと漬かったままだった。
ここまで縷述(るじゅつ)してくれば、結論は自(おの)ずと明らかであろう。何よりも「全国戦没者追悼式」という名称が示す原点に立ち返り、首相の式辞はあくまで自国民である戦没者とその遺族に向けられねばならない。仮に我が国の対外的戦争責任などに触れる必要が出てきた場合でも、それは別の機会にやれば済むことだ。追悼式での一方的な謝罪や反省がかえって戦没者を傷つけることになるという真実に遅まきながら気づいてほしい。
(おおはら やすお)