食文化だけ残っても…。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【から(韓)くに便り】ソウル支局長・黒田勝弘
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110809/kor11080903180001-n1.htm



先ごろ自民党の領土問題議員一行が韓国で入国拒否に遭った際、空港内で待機中、食事に“ビビンバ”を食べたといって話題になった。ネット世界では「傲慢でケシカラン!」「いや、結構な話だ」など賛否両論でにぎやかだった。

 筆者にも、とばっちり(?)がきた。「どうだクロダ記者、まいったか? 日本の政治家もビビンバを好むではないか…」というのだ。

 これには背景がある。韓国で官民挙げて推進中の「ビビンバの世界化」について、筆者が以前、「最初は見た目はいいが、食べるときはぐちゃぐちゃに混ぜて正体不明になってしまうビビンバはだいじょうぶかな?」と皮肉ったところ、「韓国の伝統食文化をバカにした!」と大騒ぎになったことがあるからだ。

 おかげでその後、インタビューやセミナーなどでビビンバ論争をよく吹っかけられる。韓国料理の“世界化”つまり国際的進出がテーマだから、決まって日本のすしが比較として話題になる。その際、筆者はいつもこう言っている。

 日本にはすし専門店や専門のすし職人が膨大に存在するが、韓国にはビビンバ専門店やビビンバ専門料理人がどれほどいるのか、と。ビビンバ職人など聞いたことがない。存在しないといっていいだろう。

 この違いは大きい。日本のすしを参考にするのなら、この“情熱”をまず参考にしなくっちゃ、と。

 ビビンバだって「石焼きビビンバ」は日本で開発され、韓国に逆輸入されたのではなかったか。

 韓国では経済発展と生活への余裕から近年、食文化への関心が高い。マスコミでも「おいしい料理、おいしいお店」紹介が盛んだ。連続テレビドラマでもシェフやベーカリー物語が人気だ。

 しかしドラマの素材はほとんど西洋料理であって、韓国料理は関心外だ。「ビビンバ物語」などない。

 ところで筆者がときどき日本に帰って最も食べたいと思うのは、実はスパゲティである。それもタラコ、イカシソ、ウメシソ…といった和風スパゲティだ。

 イタリア経験のある日本の外交官は「ナポリにはナポリタンなどありません!」と言っていたが、日本の食文化にはナポリタンというネーミングを創造し、和風スパゲティまで開拓する“情熱”がある。

 日本の西洋料理は今や世界最高水準だ。韓国料理だってそのうち日本が最高になるかもしれない。現に韓国人でも「焼き肉は日本の方がうまい」という人が結構いる。

 筆者の好みでいえば、焼き肉は日本風の洗練された味より韓国風の豪快な“野趣”がいいけれど。

 日本に帰るたびに実感するのは食文化の深化であり“食の爛熟(らんじゅく)”ぶりだ。日本人の食文化への情熱はすごい。世界に誇れるソフトパワーだと思う。

 しかしそう思いつつ、そして自ら日本の食文化を楽しみつつも、どこか「あんなに食べ物の話ばかりでいいのかな?」という感じがある。

 日本の食文化の深化は、伝統的な日本の“モノ作り精神”の延長線上にあると思う。細部にこだわる繊細さ、伝統と改良と再創造、経験主義、完璧主義…。

 ただ、モノ作りはやめてしまって、食文化だけが残ったというのは困る。そしてやはり「人はパンのみにて生きるにあらず」なのだ。


                                  (ソウル支局長)