一人違う景色を見る力。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【一筆多論】別府育郎

http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110801/scr11080107420000-n1.htm


草莽崛起 皇国の興廃この一戦にあり! -@




全員が同じ方向を向く組織は強い。一層の強さを求めるなら、誰か一人、違う景色を見ていると、さらにいい。「なでしこ」が米国に競り勝ったワールドカップ(W杯)の決勝戦を見て、そう思った。

 いつも一人、周囲と違う行動をとる選手がいた。黄金の紙吹雪が舞う中、W杯を手にする沢穂希ら選手、スタッフ、協会幹部たちが記念写真に納まろうとしたとき、カメラの前をVサインをしたまま笑顔で横切る選手がいた。宮間あやだった。

 延長戦を含めた120分を自らの1ゴール1アシストで引き分け、PK戦に向けて控え選手も含めた大きな円陣が組まれたとき、宮間はベンチで監督、コーチとともに、PKを蹴る順番を最終確認するホワイトボードを見つめていた。

 PK戦では1番手でGKの逆をつく緩いシュートを決め、「女ヤット」の愛称もなるほどと思わせた。「ヤット」こと男子代表、遠藤保仁の「コロコロ」と呼ばれる人を食ったようなPKを、W杯決勝の舞台で決める度胸のよさ。

 それだけではない。勝敗が決した瞬間、4人目のキッカー、熊谷紗希に向けて駆け出すチームメートに、背番号8は、くるりと背を向けた。宮間は歓喜の輪に加わらず、敗れた米国選手一人一人を抱擁していた。

 2月、ドーハで行われたアジア杯準決勝。韓国をPK戦で下した歓喜の輪に、遠藤の姿はなかった。京都時代の同僚で、これが最後の代表100試合目を飾れなかった朴智星を慰めていたためだ。宮間も、米国のリーグで活躍した経験を持つ。

米国戦後半の同点弾も、不思議なゴールだった。角度を変えて繰り返されるビデオ映像に、スタンド最上段からのものがあった。右に開いた永里優季にパスが出たとき、宮間は左サイドのハーフライン近く、ゴールからは遠い位置にいた。

 何かを感じたのだろう。ゴール前へ長い距離を宮間は一直線に駆けた。永里のクロスに丸山桂里奈がつぶれ、米国DFのクリアが味方同士で交錯し、トップスピードで割って入る宮間の前にボールは浮いた。

 左足のアウトサイドでGKの逆をついてゴールを決めた宮間は駆け寄るレギュラー組を振り切り、控え選手の待つベンチへ駆けた。敗者を、控え選手を思いやる気持ちは、ピッチを広い視野で冷静に俯瞰(ふかん)する見事な司令塔ぶりにも通じた。試合後のインタビューでは、辛(つら)い時代を支えた代表OGの名を次々あげて感謝の言葉を継いだ。

 帰国後、テレビ各局をハシゴするイレブンの中に、彼女の姿はなかった。出演要請をすべて断り、「早く温泉に入りたいから」と所属クラブのある岡山に帰ってしまったのだという。岡山では「ただのフィーバーに終わらせないように地道な努力を続けたい」と語った。

 有名になった沢の、「苦しくなったら私の背中を見て」という言葉は、最初は宮間に向けて発せられたのだという。次代のリーダーを託す思いが込められた言葉でもあったのだろう。


                                     (論説委員)