【昭和正論座】慶大教授・神谷不二
昭和54年12月13日掲載。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110716/plc11071608020006-n1.htm
日中の将来リアルな目で
大平首相のかねての念願であり課題であった中国訪問が終わった。中国側は終始「熱烈歓迎」を惜しまなかったし、日本側でも政財界、マスメディアのほとんどがそれを高く評価し、日ごろ政府のことといえば悪しざまに書く新聞までが「成果」をたたえる社説を掲げたりしている。私も、今回の首相訪中が日中関係の発展と東アジアの安定にたいして持つであろう意義を評価するに決してやぶさかではない。しかし、われわれの世代には戦前、戦中「一億一心」のスローガンに振り廻された苦い経験があるので、大きな批判が出ないものにはかえって警戒的になる習性がある。
わが国の中国にたいする取り組み方は、これまでとかく「ムード」に流れ「フィーバー」に浮かれがちであった。私は今年一月トウ小平副首相が訪れたときのアメリカ朝野の温かいなかにも冷静な対応を現地で経験し、同じ副首相が昨年十月に来訪したときの日本の「ブーム」とそれとを比較して、このことをとくに強く感ずる。だがわれわれは、ムードに流される友好熱にはさよならすべき時期に、まぎれもなく来ているはずである。
昨年八月の日中平和友好条約締結以来、東アジアでは重要な出来事が数多く起きた。ソ越条約の締結、米中国交正常化、カンボジアにおけるポル・ポト政権の崩壊、中越戦争、中国による中ソ同盟条約の廃棄通告と中ソ次官級会談の開始、北方領土へのソ連の軍事増強、韓国朴大統領の殺害などがそれである。それらを締めくくるかのごとく七九年末に大平訪中があり、それをきっかけに八〇年代の、おそらくは見分けがたい変化へむけての微妙な進行がやがて始まろうとしている。こういったおりから、われわれにいま必要なのは現実の透徹した見きわめでなければならない。中国と日中関係の将来を、東アジアのきびしい国際環境の中でリアルに見すえる態度でなければならない。
疑念持つソ連、ASEAN
初年度五百億円、総計十五億ドルの円借款が今回中国にたいして約束されたのは、まことに画期的なことである。それゆえ、第三国は程度の差こそあれ、ひとしく日本のこの大盤ぶるまいに疑念を抱いている。欧米諸国は日本が中国市場を独占するのではないかと疑い、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国は日本の援助協力が中国に傾いてASEAN軽視になりはせぬかと危惧し、ソ連はもっともあらわに、日本の対中援助が事実上軍事協力になると非難している。それにたいしてわが国はそれらの疑念や非難を否定する「三原則」を示し、ASEANへは事情説明のための使節の派遣をも決めたが、彼らの疑念はそれほど容易には氷解しないとみなければなるまい。
大平内閣の「環太平洋構想」にもともと疑念をもっていたASEANは、わが国の姿勢にたいする不安を改めて強めている。現に、結果的には削られたものの、当初の対中借款プロジェクトの中にインドネシアのアサハン計画をおびやかすものが一つ入っていたことは周知の事実である。他方、わが国は、ソ連の誤解や曲解をとくためにも今後いっそうの苦労を強いられるにちがいない。ソ連は日中新関係へのソ連流の見方を容易には改めないだろう。それは、北方領土にたいするソ連の軍事増強をソ連がいかように説明しようとも、われわれがその言い分を簡単にはのめないのと同様である。
さる九月に園田外相(当時)が国連総会で行った演説は評判がよかった。それは、日本が経済的な役割だけでなく、これからの国際社会で政治的な役割をも果たすという積極的な姿勢を打ち出したからである。その文脈でいえば、今度の大平訪中について各国は日本の対中大型借款供与がもつ政治的意味を重視しているのである。この借款によってわが国は中ソ両国のうちいっそう明瞭に中国を選択したことになるわけで、したがっていまさら「全方位」外交などといってもソ連には通じないだろう。この点、わが国政府は本当に肚(はら)をくくっているのだろうか。
中国現代化は「人」の問題
中国の華=トウ体制とそれが掲げる「現代化」路線にわが国は賭けたということだが、リアルにみればこの点にも問題は残っている。日本の借款供与に対応して中国は四〇%のローカル・コストを調達しなければならないわけだが、それは果たして可能だろうか。六プロジェクト合計十五億ドルという借款の総枠にしても、それが何年間にと明示されていないのは、中国側の資金調達やプロジェクトの進捗(しんちょく)の具合に応じて行うという建前からそうなっているのであって、六プロジェクトのすべてが順調に進む保証はまだないといわざるを得ない。
ローカル・コストの問題だけでなく、いっそう重要なのは中国側に計画全体をまかなうだけの専門家が量的質的にそろうかどうかである。この面からすれば、中国の現代化は結局のところ物や金よりも人の問題なのではないか。文革期の中国では、学校で答案を白紙で出す者が英雄としてたたえられるといった事態が横行していた。そういう長い空白をどのように埋めて、中国は現代化のための中核的人材を調(ととの)えてゆくのであろうか。中国の現代化と日中関係の発展のための土台はできた。しかし、その上にどんな建物がつくられてゆくかはまだまだこれからの問題である。
(かみや ふじ)
◇
【視点】
いまにして思えば、神谷不二氏の警告は重要な意味をもっていた。あの当時、大平首相の訪中をきっかけに、大型の対中円借款の大盤振る舞いがアジア各国に不安感を引き起こしていた。当時はまだ、影響力の小さい中国ではあったが、神谷氏は中国の独善性に早くから気づいていた。
それから30年を経て、軍事大国の中国は南シナ海沿岸諸国を威嚇し、日本の尖閣諸島を脅かし、米国と太平洋をめぐる覇権争いを演じている。日本が朝野をあげて中国フィーバーに沸いたことがウソのようである。その日本がいまだ、対中の政府開発援助を続けているのだから、いかに脳天気であることか。
(湯)