【消えた偉人・物語】杉原千畝と犬塚惟重
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110709/art11070908240002-n1.htm
日本へのビザを書いて多くのユダヤ人難民を救った杉原千畝(ちうね)(1900~86年)が、多くの中学校社会科歴史教科書に取り上げられるようになったのは喜ばしい限りである。かつて杉原は、あるユダヤ人から「なぜユダヤ人を救ってくれたのか」と問われたことがあった。そのとき、杉原は「私のすべきことは、陛下がなさったであろうことをすることだけでした」と答えたという。つまり、杉原は「天皇陛下ならユダヤ人を助けただろうから、私も同じことを行ったのだ」と言っているのである。ここで注目されるのが、杉原がとった道義的行動に「陛下がなさったであろうこと」という判断基準があったことである。実はこの判断基準によってユダヤ人を救ったのは、杉原だけではなかった。犬塚惟重(これしげ)大佐(1890~1965年)もその一人である。大佐は、上海の日本租界の中に、ユダヤ難民を収容する施設や学校、病院をつくって約3万人のユダヤ人保護に取り組み、さらにリトアニアから350人のユダヤ人を救出して、アメリカへ送り届ける外交交渉に尽力した。大佐は、杉原同様ユダヤ人を助けたのは「天皇陛下の万民へのご仁慈にしたがって働いているだけ」と答えている。大佐はユダヤ民族のために貢献した人の名が記される『ゴールデンブック』に記載される予定だったが、「記名されるべきは天皇陛下であられる」と言って、それを断ったという。「ご仁慈にしたがって働いているだけ」との言葉は、大佐の偽らざる心情からほとばしり出たものであったのだろう。かつての役人や軍人には、「自分は天皇陛下の官僚(軍人)である」という自覚とプライドがあった。そして、それが彼らの道義心を養い強化していったのである。このように、国民は道義を重んじる皇室を心の師表(しひょう)(模範、手本)として仰いできた。日本人の道徳と皇室とは密接な関わりがあるのである。それだけにわが国の道徳教育において、皇室の伝統や天皇について教えることは、非常に意義のあることなのである。
(皇學館大学准教授 渡邊毅)