大阪の暴君、権力に酔うこと“龍”の如し。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「夕刻の備忘録」 様のブログより。



何故、支持されているのか、サッパリ分からない人物の多い御時世である。大阪の暴君もまた然り。本当に意味不明な人間である。

その理由は、大衆煽動に長けているから?

「こんな程度でいいのか」というのが偽らざる実感である。
大阪は、古くから“政治家性悪説”に取り憑かれて、選択の基準が極めて狭くなっているようである。選挙前に交わされる言葉は常に同じ。

「この人なら悪いことをしないような気がする」である。
「この人なら何か面白いことやってくれそうな気がする」である。

利権に遠く面白いことをやる、
これではまるで芸人の選抜試験ではないか。

橋下知事「松本氏、辞める必要なんて全くない」
 松本復興相の辞任について、大阪府の橋下徹知事は5日、「きちんと謝罪して、これから仕事で結果を出すということであれば何も問題ない。辞める必要なんて全くないと思う」と報道陣に語った。
 橋下知事は「僕も山ほどそんな(問題)発言をしているが、まずかったら謝って、正し、その代わりに仕事はしっかりやるということでいいと考えている」と主張。「一つの発言だけを取り上げて、大臣の職を辞めなきゃいけないなんていうのは、日本の政治も末期症状だ」と述べた。(2011年7月5日21時08分 読売新聞)


http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110705-OYT1T00976.htm?from=main1

どの一言を取っても全く話にならない。

先ず第一に、松本氏は如何なる意味でも謝罪をしていない。
「きちんとした謝罪」とは一体如何なるものを言うのか不明である。

仕事で結果を出すということで「あれば……」、という当世流行の言葉遣いは、何とかならないものだろうか。「傷付けたとすれば謝罪したい」と同じ構造である。前段で「あれば」と仮定しておきながら、続く台詞は「辞める必要は全くない」と極めて強く主張するのであるから、仮定は完全に忘れられている。最初からこんな面倒臭い仮定は課する気もないことが見え見えである。

極め付けは次の台詞である。
「僕も山ほどそんな発言を云々」である。

「仕事をしっかりとやる」という意味がそもそも何がしっかりなのか不明であるが、兎に角、この人物は仕事が出来れば、何をいおうが、どんな態度を取ろうが、全く関係無いと主張していることだけは確かである。

そして誠に噴飯ものであるのが、自分が暴言を吐いてきたことを認めて、しかもそれでも辞めない、辞める必要を感じない、だから松本氏も辞める必要はない、という連鎖が結論なのである。

逆に辿れば、松本氏は辞めた、そして同じレベルの暴言を吐いていることを自ら認めたあなたも辞めるべきだとなるだけである。それとも自分だけは別なのか。「この程度の脱税では捕まらないよ、僕なんか何十億円と脱税していても捕まらないんだから」と鳩山某なら言いかねないが、この種の宇宙人発言と何処が違うというのだろう。

これを傲慢というのである。
権力に酔い、傲慢を極め、暴言を吐き続ける。
まさに“松本龍の如し”である。

弁護士崩れの政治家にも色々といるが、仙谷、枝野、そしてこの男に共通する点は、「言葉で飯を食ってきた」という自負であろうか。そうだ、彼等は弁護士として「言葉で生計を立ててきた」。これを「言葉を大切にすることだ」と勘違いするから、人物評価まで見誤るのである。

彼等は言葉で食ってきた、即ち、言葉はメシの種であって、食えればそれでどうでもいい、ということなのだ。今日の白が明日の黒になっても、相手によって話が変わっても、そんなことには頓着しない。論争に勝てばいい、それが金になればいい、相手を沈黙させて、自分が優位に立てるなら、言葉なんてタダだ、何とでも言ってやるわ、という態度なのである。

だからこそ、こうした発言が出て来るのである。「こんな事で辞めていたら、僕なんか何回辞めなければ分からない」などと平然と言い放つ神経が、既に「言葉の売人」であることを明らかにしている。

頭の良さとは、精密な論理を紡いでいく努力と才能に対する賛辞であって、その場限りの勢いと、裏を取らない周囲の怠惰に甘えて、支離滅裂なことを何倍速かで垂れ流すことではない。

同じ時間で人の倍の分量だけしゃべれば、この人は何て頭の回転が早いのだろうか、と感心してくれる奇特な人も多いようだが、落ち着いて聞いてみれば、同じ内容を繰り返ししゃべっているだけの人間がほとんどなのである。それは口の筋肉が他人より抜きん出て鍛えられているだけの話であって、頭とは、知性とは何の関係も無いのである。

頑張ろう、東北! そして
そろそろ気づこうよ、大阪!