【消えた偉人・物語】
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110702/art11070207430005-n2.htm
原発事故の放射線への懸念からプールが閉鎖されたままという学校も東北地方には多く、辛(つら)いことだ。
そんな中で、教員だけによるプール清掃も済み、放射線の心配はないということでプールから元気な子供の声が響く学校もまた多かろう。
夏といえば海、必ず思い出されるのが、「我(われ)は海の子」の歌だ。
一、我は海の子、白波の/さわぐいそべの松原に/煙たなびくとまやこそ/我がなつかしき住家(すみか)なれ。
二、生まれて潮にゆあみして/波を子守の歌と聞き/千里寄せくる海の気を/吸ひてわらべとなりにけり。
七五調の流麗な調べに乗せた親しみやすい歌詞である。難しい言葉もなく歌意は明快かつおおらかである。
次の三番の歌詞ぐらいまでは諳(そら)んじて口ずさめる人も多いことだろう。
三、高く鼻つくいその香に/不断(ふだん)の花のかをりあり/なぎさの松に吹く風を/いみじき楽と我は聞く。
しかしこれに続く四番から七番までの次の歌詞はそう広くは知られていまい。
四、丈餘(じょうよ)のろかい操りて/行手(ゆくて)定めぬ波まくら/百尋(ももひろ)・千尋(ちひろ)海の底/遊びなれたる/庭廣(ひろ)し。
五、幾年(いくとせ)こゝにきたへたる/鐵(てつ)より堅き腕(かいな)あり/吹く潮風に黒みたる/はだは赤銅(しゃくどう)さながらに。
六、波にたゞよふ氷山も/来(きた)らば来れ、恐れんや/海巻上ぐる竜巻も/起(おこ)らば起れ、驚かじ。
七、いで、大船を乗り出して/我は拾はん海の富/いで、軍艦に乗組みて/我は護(まも)らん海の國。
昭和14年2月発行『小学国語読本』(巻11尋常科用、著作文部省)からの引用である。
音楽の教科書ではなく『国語読本』であるところに注目したい。歌詞に込められた壮大な気宇(きう)(心の広さ)、気概に胸躍る共感を覚え、勇気の湧いてくる思いを抱くのではあるまいか。かつての日本人は子供らにそれを願ったのだ。
(植草学園大学教授 野口芳宏)
昔の国語教科書に掲載されていた「我は海の子」
