「脱原発解散 」って言葉がメディアを飛び交う。おお、そうか、脱原発解散 か、なるほどなあと思う。でも冷静に考えると、何だかよく判らない。
例えば、わが町に原発誘致計画が持ち上がったとする。賛成派は雇用機会の拡大や補助金のよる財政健全化、さらには周辺環境の整備を主張する。国家のエネルギー政策をわれわれの町で支えようではありませんか!なんて演説して愛国心を鼓舞する。
逆に反対派は、放射能によるガン発症率などのデータを持ち出して、わが町の子供たちを守れと強調する。福島の事故で安全神話は崩れたと、原発の危険性を批判する。今こそ、わが町は再生エネルギーでエコタウンを目指すべきです!などと説く。
で、町議会で誘致の可否を表決で争う。場合によっては、いったん議会を解散 し、町会選挙を開いて賛成派、反対派の議員を選ぶ。これを「原発解散 」とか「脱原発解散 」と呼ぶなら判る。何を争うのか、誰の目に明らかだから。
でも、国政の場で「脱原発解散 」って一体、何を意味するんでしょ?
実際に事故が起きたのだから、原発の安全性向上は当然求めたい。でも電力なしでは暮らせない。産業も成り立たない。資源の乏しいわが国にとって原発は貴重な財産なのだから、突然取り上げられることには反対。何十年か先なら、脱原発なる選択肢があるかも知れないが、単純なヒステリー反応で国力を削ぎ落とすのは困る。ほとんど全ての国民がそう考える筈。コレって争点になりません。
にもかかわらず、太陽光や風力発電の法螺話を語って国民を欺き、あなた原発好き?、それとも嫌い?、と尋ねるのを「脱原発解散 」と呼んでいるとしたら、菅総理は究極のペテン師です。
現実の大問題を情緒的な好き嫌いにすり替えて、ちゃっかり人気を得ようなんて、国民を愚弄するのもいい加減にしろっ!
あんたが直ちにしなきゃいけないのは、国家全体のエネルギーをどう賄うか、きっちりした政府案を国民に示すこと。安全性が再確認できた停止中の原発を1日も早く再稼動させ、日本人の蒸し焼きを止めること。今日の政治がマトモに出来ない菅さんに、何十年後の夢なんぞ語る資格はないのです。