【話の肖像画】群馬大院教授・片田敏孝
■「学校教育」の持つ力感じた
--津波の予想波高を報じるべきか否かについて、今月上旬の気象庁の勉強会で大激論がありました
片田 私はそこで、「やめるべきだ」と強硬に主張しました。予想波高は潮位変化であって、実際に陸上で被害をもたらす遡上(そじょう)高ではない。両者には何倍もの数値の開きがあります。今回、地震発生直後の1回目の予想波高は釜石で3メートルでした。1200億円かけて造られた釜石湾の防波堤(全長2キロ、海上高約8メートル)のことを考えると、誰も避難しません。修正波高は10メートルとなりましたが、その時点では停電で市の広報機能は停止していた。
--3メートルがひとり歩きしたわけですね
片田 情報を出す方は、どれだけ正確に数字を出せるかにこだわる。正確さ以前に、出す情報が命を守ることにつながるかどうかの判断が大切なのに、そこに目を向けなくなる。「巨大な津波が来る恐れがある。すぐに避難を」と繰り返し伝えるだけでいいのでは。防災を考えるとき、技術ばかりに走っていてはいけません。
--釜石の子供たちの行動は、防災の専門家の想像をはるかに超えていた
片田 小学1年生の子がひとりで家にいて、地震に遭った。揺れが収まるのを待って、きちんと戸締まりをして避難した。それをみた上級生が手をひいたり、停電で機能しない信号で立ち往生した子供たちに近所の人が声をかけたりということもありました。しかし、この小学1年生の行動以上の何があるのでしょうかと思います。
--子供たちには、予想波高もハザードマップ(被害想定図)も判断材料にならない
片田 ある小学6年生は、市の防災無線で「波高3メートル」と聞いた。それで避難が遅れたのですが、家の外が浸水しはじめ、50センチの高さになったとき、外へ避難するのをやめて自宅の屋上にあがって難を逃れた。なぜ外へ出なかったのか聞くと、「50センチぐらいの高さでもさらわれると習ったから」という。他にも、高台に逃げてから、津波の様子をみてさらに高い所に逃げた例もたくさんあった。彼らの判断基準は、学校で学んだ知識と日ごろの訓練です。
--なにがそうさせたのでしょうか。ある校長先生は「ふだんおっとりした子もちゃんと逃げているけれども、どうも信じられなくて、何度も母親に確認した」と話していました
片田 私は防災教育よりは、受け皿となった「学校教育」の持つ力だと感じています。集団教育の良い面がでた。学校には子供のレベルに応じて身につくように教えるノウハウがある。みんながやるなら僕もやるという連帯感もある。隣接する小、中学校は、普段から合同避難訓練をしていて、震災当日も中学生が避難するのをみて小学生が続いた。「お兄ちゃんたちが逃げるから」と。
--大人はどうすればいいですかね
片田 地域のなかで学校と同じような状況をつくればいい。防災について学ぶ場を設け、定期的な訓練で顔見知りとなり、誰かが率先避難者として声かけ役となる。今、釜石では子供たちが示した成果を大人にも広げようと、地域再生プランの中心に学校をすえて、防災力を強化しよう、コミュニティーの力を高めようという動きがでています。
(北村理)