【解答乱麻】元高校校長・一止羊大
本欄(4月23日付)に「日本人の美徳の源泉」と題する一文を寄せたところ、ありがたいことに幾つもの共感の電話や手紙、メールをいただいた。その中の一つ、友人からのメールには、日本の現状を憂える次のような指摘が綴(つづ)られていた。
「東北で震災救助の活動中に複数の自衛隊員が殉職しています。この度の大災害は、戦時下の国家危機にも匹敵します。その救助活動で自分の命を投げ出した自衛隊員に対して、私たち国民は、彼らの栄誉をたたえ、深淵(しんえん)なる感謝の気持ちを捧(ささ)げなければなりません。しかしマスコミは自衛隊員の殉職をほとんど報じてもいないし、国会ではそれをまともに話題にさえしていないのです。やはりこの国はどこかおかしい」
彼の指摘に、私は覚醒の鞭(むち)を当てられたような強い衝撃を受けた。日本人の美徳に自信と誇りを持つことは大切だが、同時に、国家観と国防意識がそぎ落とされた戦後日本の現状を「やはりおかしい」と捉える眼力を決して失ってはいけないのだと、深く再認識したのだった。
戦後、日本人が「自虐」的になり、国家観や国防意識を失ったのは、「日本=悪玉」を植えつけた東京裁判や言論の自由を徹底的に奪って弾圧したGHQ(連合国軍総司令部)の占領政策に原因の源があることは言を俟(ま)たない。だが独立を回復して約60年もたち、東京裁判や占領政策の欺瞞(ぎまん)と虚妄が具体的に明白になっているにも拘(かか)わらず、東京裁判史観やGHQの呪縛から未(いま)だに抜け出せないでいるのはなぜなのか。私は、少なくとも次の2つの視点から問題を捉える必要があると思う。
第一の視点 日本人の美徳そのものが「自縛」と化し、自省の陥穽(かんせい)に落ちてしまったからではないか。
日本人は、古来「正義は勝つ」とか「善行は報われる」などの価値観を大切にしてきた。これは、日本人の美徳を形成する上で欠かせないものであるが、善良なる人間を形成するためのこの命題が、皮肉にも敗戦によって自虐に落とし込む負のドグマ(教条)に変わってしまったのではないか。つまり日本人は自省的で善良なるが故に不正義なことや悪いことをしたから戦争に負けたのだと自らを責め、その贖罪(しょくざい)意識によって東京裁判史観やGHQの呪縛から抜け出せなくなったのではないか。
第二の視点 左翼イデオロギー一流の「正義」を振りかざした罠(わな)に填(は)められてしまったからではないか。
左翼イデオロギーに染まった人達は、皇室を支柱にした日本の歴史・文化・伝統を心底から憎悪し、日の丸・君が代を忌み嫌い、あわよくば日本をひっくり返そうと考えている人達であるが、不幸にもそのような人達が戦後の学校教育やマスコミの世界を半ば牛耳ってきた。彼らは東京裁判が作り出した「日本=悪玉」の虚構を「正義」とし、そこに乗りかかりながら自虐史観を公然と広めてきた。「自省の陥穽」に落ちた善良なる国民は、彼らの罠に対してあまりにも無力だったのではないか。
史実に照らせば、日本が不正義なことや悪いことをしたから戦争に負けたのではないことは明白である。自省的で善良な国民性は大切にしながらも、「事実に正対し主張すべきは主張する人格」を育てる教育を確立推進することが、現状を打開する上で不可欠の課題だ。家庭も学校も世間も、覚醒しなければならない。
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【プロフィル】一止羊大
いちとめ・よしひろ (ペンネーム)大阪府の公立高校長など歴任。著書に『学校の先生が国を滅ぼす』『反日教育の正体』。